2012.8.8(水)曇
猪鼻地名のあるところにマンガン鉱山が存在するというのはどうしてだろうと思っていた矢先に、マンガン鉱脈を探す際に「マンガンの花」を見つけるという事をいくつかの本で知った。マンガンの花とは「マンガンぱらだいす」(田中宇著)では鉱石の黒い固まりが花びらのような形で落ちているのをハナという、という風に書いてあり、「丹波マンガン記念館の7300日」(李龍植著)では川に流れ出たマンガン鉱石という風に書いてある。
南丹市日吉の海老谷など田んぼの中にも黒い花が咲いていたというから、マンガンの花とは花びらのように拡がったマンガン鉱脈の露頭のことでは無いだろうか。
海老谷玉岩地蔵、玉岩鉱山はこの附近である。
鳥垣のアシ谷のマンガン坑を訪れたとき、周囲に同じような岩壁がいくつもあるのに気づいた。マンガン鉱の山師は一体どうやってその中から鉱脈を見つけたのだろう。丹波のマンガンは良質だが鉱脈は細く短いそうである、岩壁の中にレンズ状に存在する鉱脈を見つけるにはやはり岩壁の表面に浮き出た鉱脈を見つけるのが有効な方法なのだろう。いわゆる鉱脈の露頭を「ハナ」というのではないだろうか。
鳥垣渓谷に行く度に岩壁があるたびにマンガンの黒いハナが無いものか眺めていたが、素人でも解るハナがあったものなら、とっくに過去に採掘されているだろう。そんな時鳥垣の登山道脇の岩壁に妙な窪みを見つけた。今年の6月8日の事である。
それは第三の滝から山腹の登山道に合流し、やすみとに向かっている途中で左上斜面の岩壁に浅くえぐられた窪みを見つけたのである。近づいて、もう苔むしている岩を観察すると、自然のものとは思えない窪みである。もし人工の窪みだとすると一体何に使ったものなのか。マンガンの試掘跡としか思えないのだが、、、。
偶然発見した奇妙な窪み。
鉱山師が探し求めるマンガン鉱脈の露頭をマンガンの花と呼んだとして、それが地名になる事は無い。マンガン単体の採掘はそう古い時代では無いと思うのだ。丹波では明治の後期に始まったそうだが、古代に薬として採掘されていたという伝説もあるようだ。しかし古代から重要視されていたのは五色のカネ、つまり金(コガネ)、銀(シロガネ)、銅(アカガネ)、鉄(クロガネ)、鉛(アオガネ)の他水銀、錫などのようだ。マンガンは鋼を作る際に使われたようだが、地名が生まれるような古い時代に単体で掘られていたとは思えない。つづく
晴徨雨読 8日目(2006.8.8) 萌叡生活塾~芦原温泉
萌叡生活塾で午前中は作務していたので、出発は午後になってからだった。この日ばかりは本当に無計画で、行けるところまでいって泊まろうという感じだった。それが失敗で芦原温泉まで行って、高い宿泊料を払うハメになった。といっても1万円だが今回の旅行では最高額ではないか。永平寺の手前の峠はえらいきつい坂で歩いてしまった。歩いたのはガリバー旅行村の坂と杖突峠とここの3回だけだった。
幹線道路は避け、地方道を走るのが面白い。
今日のじょん:全国民がオリンピック寝不足症候群となっていそーだが、じょんのび村でも昼寝が定着している。といってもじょんはのべつ幕無し昼寝しているけど、、、。
右にはおかーが寝ているのだが、肖像権がどうのって云うからトリミングした。