2012.8.21(火)晴れ
わたしが実際に訪れたのは宝尾周辺だけなので、牧山、大田和に残る遺跡を見てみたいと思っている。六世紀というのは誇張があるにしても、平安期あたりにはこのあたりに大規模な寺院があったのでは無いだろうか。伝説にあるような大きな建物の存在はいぶかしいものがあるが、金剛院に移ったと言われる仏像、郷土資料館などに残されている仏像、鏡などみると、相当の山岳寺院があったと思われる。それはやれ日置だやれ宝尾だというものではなくて、牧山から日置峠を越え宝尾そして大田和につながる山岳寺院では無いだろうか。もっと想像を膨らませると、大唐内の薬師さん、君尾山光明寺、蓮ヶ峯の施福寺と連なる寺院の脈絡が感じられる。
日置峠と鳥とまらず(2011.10.13)
それにしてもこの一乗寺、アマチュアの郷土史家などには取りあげられても、専門家の調査や論文は目にしたことが無い。専門家には無視されているのだろうか、調査する価値の認められないものなんだろうか。おおい町も高浜町も原発の再稼働で揺れている町だ。年間被害額500万円の獣害対策に18億円の防獣柵作るよりも、こういった文化施策に使われるなら納得もいくのだが。
これがそうなんだろうか、おおい町の防獣ネット。
もうひとつ興味深い話が史話に載っているので紹介したい。東京では有名なお菓子の三原堂の創業者が和田の出身ということである。氷水屋、一杯飲み屋から始めて、今や東京では知る人ぞ知る老舗となっている。本郷犬見山の砂金発掘や小浜八百比丘尼伝説をモチーフにした八百姫神社と旅館を開業するなどユニークな発想の事業家だが、面白いのは安政四年(1857)生まれで、11歳の時に綾部市上林小唐内(こがらち)の寺の小僧になったということである。満年齢で数えると明治元年のことである。大唐内(おがらち)ならともかく小唐内にそのような寺があったのだろうか。現在小唐内には二軒の家となり、在の家は一軒のみである。明治元年のことなら伝わっているかも知れないので、次回聞いてみようと楽しみにしている。明治22年の地図には寺院のマークは見当たらない。 おわり
小唐内の谷に小僧をとる寺院があったとは思えないのだが、、。
(2011.8.19)
【晴徨雨読】21日目(2006.8.21)安代温泉~野沢温泉
病み上がりでふらふらと野沢温泉に向かう。小さな峠でもとてもつらい、野沢温泉は思っていたよりモダンな感じの温泉地だ。やはりスキーのウェイトが高いからだろうか。ここで夏休みをとって、旅のパターンを見直すことにする。
野沢温泉行き付けの湯、新田の湯。
【今日のじょん】:先日藤井豆腐以外は食べない記事を書いたが、今夜は生協の豆腐である。なぜって、藤井豆腐店はお盆休みでいつもの配達が無いのだ。生協なら食いよるかなあと思いつつ食べさせるが、やっぱり知らん顔。うーむ参ったなあ。
みりん干しの尻尾は大好き。