2013.11.7(木)晴れ
暦会館には過去の暦であるとか、渾天儀(こんてんぎ)などの観測用具の実物やレプリカが沢山展示されている。土御門家の本拠である京都市梅小路に渾天儀の台座が残されているというね梅小路西中町の円光寺である。梅小路天文台でこれらの観測器具を使って太陽や月、星座の観測が行われていたことは間違いない。各種の観測結果の記録も残っているのだが、それらはすべて近世のことである。
だからといって、それ以前の名田庄時代110年の間に天体観測が行われていなかったとはとうてい考えられない。彼らはどこかで毎日観測を続けていたことと思う。
それは暦の作成や日食月食の予想だけでなく、日々の祈祷や卜占にも必要なものと思うからだ。
そうなると何処で観測をしていたかが問題になる。美母呂の道周辺がもっともそれらしいのだが、とにかく訪ねてみなければならない。
国道沿いの大杉と案内板。
国道162号線を小浜方面に少しゆくと右手に大杉がある。その周辺が駐車場になっているので車を置いて、遊歩道を土御門史跡に向かう。
すぐに泰山府君社の鳥居が見えてくるが、鳥居も石段も新しくて由緒のある神社とは思えない。案内板によると明治41年まで奉祀と書かれているので、その後荒れていたものを近年に整備されたもののようだ。従って目標の天檀も果たして実在したものかどうかわからない。
鳥居、石段、社殿みんな新しそうだが、傍らの地蔵様は古そうだ。
この天檀を天体観測の地として候補に挙げたのだが、少なくとも太陽観測の地としてはふさわしくないように思われる。真東は山の斜面になり、120度はそれらしい山頂となるが真西はまたしても山の斜面となる。
天檀から東方、冬至の日の出は正面の山頂から出る。
天檀はあくまで祈祷、神事の場所として存在したものであろう。
社殿の奥に神岩の群れという磐座があると、案内板にあったので行ってみる。ちょうど季節の銀杏を踏みつつ登ると、獣よけのフェンスがある。これが原発資金の十何億円を費やしてのおおい町の獣害フェンスだろうか。上林のワイヤメッシュフェンスと違って何とも立派なフェンスだ。谷のところのゲートを開けて奥に進む。神社から見えていた磐座だが、なかなか立派な磐座だ。人工のものは後の時代にも作ることができるが、この磐座は古代からその場所にあったものに違いない。土御門家がこの地に社殿を建てたとして、この磐座は何らかの影響を与えているのだろう。
社殿上方の磐座、鹿の骨が生々しい。
史跡はまだまだあるのだけど時間が無いので今日はここまでとする。神社の上に金比羅という小山があり、遊歩道が通っている。観測地があるとしたらやはり山上となるだろう、次回は是非訪ねてみたい。おわり
【作業日誌 11/7】
芝生広場草引き5日目、1/3くらい終わる。
【今日のじょん】深夜の吠えは迫力があった。4:06、飛び起きて周囲を見ると芝生広場にトナカイのような大きな雄鹿がいる。出て行くと山の方に逃げていったが、結構度胸要るのよね。
この場所にいたのでオシッコかけている。
河原のイノシシ現場もやはりオシッコ。