2013.11.8(金)曇り
昨日、「百貨店系はともかく、オークラやオータニなどの一流ホテルにも出てきたら終いやなあ」と言っていたら、ホテルオークラでも出てきた。食品偽装の問題である。
ホテルオークラの言い分は芝エビの偽装について、「エビの大きさに応じた呼称との認識だった」と言い訳をしている。阪神阪急が当初に行った言い訳で、消費者にとっては白けるばかりである。エビだけなら通用する言い訳かも知れないが、フカヒレや野菜にも偽装が及んでいるとなると、エビの大きさによる呼称だけでは説明がつかない。
最初の偽装が世間で騒がれてから今日まで、関係者による会合が重ねられたのだろう。一体どのような気持ちでおられたのか知りたい所である。
40年以上前、ホテルオークラで配膳のアルバイトをしていた。フランス料理では最も本流の伝統を受け継いでいると教えられた。シェフから末端の我々まで誇りを持って仕事をしていた。常連として食されているお金持ちはともかく、一生一度の記念日に上京して食事した食材が偽物だったとなると、その補償は返金で済むものではない。
本日の食品衛生責任者講習会でも擬装問題は話題になっていた。メニュー擬装問題は、被害者にとって精神的、金銭的損失があっても身体的、健康上の損失が無いので軽んじられることとなるまいか。
今回のホテルや料亭のメニュー偽装問題は、今までの食品偽装問題とは異質であることを認識しなければならない。つい最近起きた米の偽装はとある一社の問題であった、数年前の吉兆の使い回し事件も一社の問題であった。過去の偽装問題を見ても対象の一社だけが引き起こしている。ところが今回は、上層飲食業界に共通していることが質的に違うところである。
つまり老舗料亭や高級ホテルの信用失墜だけで済まされない問題であることだ。食文化、あるいは日本の文化全体の問題ではないだろうか。方や和食を世界文化遺産になどということも盛り上がっている。それ以前の大きな問題が存在しているにもかかわらずだ。
さて、視点を変えてみると、擬装をしていた超一流ホテルのシェフは自らの作っている料理にどのような思いを持っていたかということが気になる。自らが作っている料理の食材がレベルダウンしていることは当然わかっていることである。宴席にはシェフが登場し、「今日の食材は〇〇であります」なんて挨拶している。誠にもって高級そうでいいものである。
私どもの場合は、常に料理長が目の前におり、それは居酒屋と呼ばれている。
「この魚美味いなあ、近海もんかい」
「いや、冷凍やで」
「この鯖美味いなあ、関かい?」
「いやフィリピン沖」
なーんてしゃれにならない。
とにかく擬装問題が文化の問題となると、そのシェフの責任が重大になってくると思う。つまり、経営者やオーナーがいくら土下座しても問題の解決ははかれないのだ。文化は庶民のもので、庶民が担っているからだ。
例えば、天平文化の主人公は聖武天皇では無くて、東大寺の大仏を作り上げた技術者であり、土をこね木を削り上げた裸足の労働者なのだ。
ニセモノ文化を作るか、本物文化を作るかはそこで働く庶民にかかっている。葛藤していただきたい。
【作業日誌 11/8】
芝生広場、芝刈り(整備6日目)
芝刈りというよりは草刈り状態
【今日のじょん】今日はフロントライン、もといマイフリーガードの投薬日である。いわゆるジェネリック薬品なんだが、基本的な成分は同様に含んでいるので使用している。部屋で投薬すると暴れ回るので、外でやると知らん顔している。なんでや。