晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(59) 阿比地神社-3 11/14

2013-11-14 | 上林地名考

2013.11.14(木)晴れ

 阿比地神社の東西の鳥居が太陽観測とかかわり合いがあるのではという思いは見事に外れた。阿比地神社の歴史を見るとそのことがはっきりする。
 各説ある中で福知山市史第一巻にある阿比地神社に関する記述がわかりやすく、妥当であろう。
 まず、阿比地神社は元々何鹿郡下高津村に存在していたという文書がある。では阿比地神社は何鹿郡から天田郡(現福知山市)に移転したのかというとそうではない。興、観音寺もかつては何鹿郡であったのだ。そのことは福知山市史の中に一節を設けて(第2編第1章第四節 観音寺及び興の所属)書かれている。
 阿毘地神社が平安時代後醍醐天皇の延長五年(927)に、藤原忠平等が選進した延喜式神名帳によると、何鹿郡十二座の中に入っている。として次のように書いている。
 
同社が創建以来位置を変えていないとするならば興の地は何鹿郡にあったわけである。おそらく大化二年(646)の国郡制定以来そうであった。一体興というところは新興の集落で観音寺の分村(出戸、出垣戸)であるらしい。
 

 また、丹波志では
 
観音寺村興村ハ往古何鹿郡ノ地也ト云フ興村ハ観音寺村ノ出戸、昔日下高津ト云地也ト云
 と書いている。つまり社殿が移転したのではなく、地域区分、この場合郡が変わったわけだ。
 しかし、創建以来阿比地神社はこの地にあったのだろうか。
 初めて当社を訪れた時、不思議な感がした。一般的に神社というものは村を見下ろす小高い位置にあるものだ。現在の位置は府道や山陰線の由良川よりで、洪水の可能性の最も高い位置にある。
 そうこうしているうちに台風18号の被害が起きた(2013.9.16)。戸田、土、石原方面の被害の様子はテレビなどでも大きく報道されたのだが、奇しくもその翌日、高津から戸田、石原方面に向かうこととなった。P1010212


阿比地神社東側(2013.9.17)
P1010220



戸田から石原方面、阿比地神社はこの写真より左手、昨日はこの辺り一面が泥の海であった。(2013.9.17) 

 台風一過というのかその日は打って変わっての晴天で、暑さをも憶えるくらいであった。この方面の府道を除くすべての道が通行止めとなっており、観音寺辺りから大渋滞となった。車を停める余裕も無くて、車内から阿比地神社の森を一枚だけ写真におさめた。その写真で水深のようすなどはわからないのだが、その後戸田、石原方面をまわり、被害の様子を見る限りでは、境内は水浸しであったと思われる。ましてや由良川の流路も定まらない時代のこの地は今以上に水害の危険性が高いと思われ、なぜこの地に神社を置いたか疑問である。つづく
P1010754



現在の境内は水のあとはわからない(2013.11.12)

【作業日誌 11/14】
最後の草刈り


【今日のじょん】今年は獣の出没が多い。山のドングリは豊作だと聞くが、どうやら食性が変わってきているということが報道されていた。山の食べ物が豊富でも、もう里の食べ物しか食べないということだ。じょんのびの庭でもイノシシの糞が今年既に2回発見されている。ヤンナルゼ。

P1010764





P1010762

 
 じょんの足下のかき傷は鹿もしくは猪の蹄の痕。

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日置のこと(58) 阿比地神社-2 11/13

2013-11-14 | 上林地名考

2013.11.13(水)曇り、雨

 阿比地神社のことを本などで知って、府道を走るたびに横目で眺めていたのだが、府道や線路の北に森があり、西側(福知山側)に鳥居があるのを確認していた。じっくり見てみたいと思って、府道に車を駐め阿毘地踏切から写真を撮る。この写真は神社の森の東側を撮るのだが、ここにも鳥居があるのに気づく。
 つまり東西に二つの鳥居があるわけだ。森の中で社殿がどちらを向いているかはわからないのだが、鳥居が反対方向に二つ存在する神社は見たことがない。
 東西の鳥居が真東、真西を向いているとしたらこれは事件である。春秋分の日の出が東の鳥居方面から昇り、西の鳥居方面に沈むからだ。こうなると興は日置でその観測地点が阿比地神社などという説が日の目を見ることとなる。
 東西二つの鳥居に気づいてから2ヶ月あまり、社殿の方向や鳥居の方向を確かめたく思っていたのだが、現地の台風被災等もあってなかなか実行できなかった。
 買い物のついでに思い切って車で観音寺から神社の森に向かう。高速道路の下やたんぼ道を通って神社の駐車場にたどり着く。
 はやる心を抑えながら、東の鳥居をくぐる。社殿は東を向いていた。社殿と鳥居の向きは同じだが、その方向は100度で真東よりやや南に向いている。その方向は高津八幡の尾根の途中を差し、特別の目標物を指しているようではない。
P1010747P1010748



東側の鳥居と東方の風景

 社殿は拝殿と本殿からなり、こぢんまりしているようだが式内社らしく風格がある。その社殿の左手に西の鳥居からの参道があり、やや小ぶりだが石の鳥居がある。
その方向は255度で真西から15度南に寄っている。その先も際だった目標物はない。
P1010751P1010760



西側の鳥居と西方の風景

 境内社は社殿の北にあり、稲荷社、天神社、大木社、手力社、厄除社があり、これらも日置との関わりは無さそうである。手水鉢は東西それぞれにあり、どちらからもお参りできる様になっている。
 いつものように盃状穴を探しながら、石造物を眺めてゆくが盃状穴は皆無である。文化や嘉永の銘が見られ、あまり古さは感じられないが、狛犬だけはなにか威厳のある古さを感じる。
P1010755

 
 


社殿から東側の鳥居を見る、狛犬が迫力ある。

 東西の二つの鳥居に日置らしい太陽の運行に関するいわれを探したが、残念ながらそれらしいことは見つからなかった。つづく

【今日のじょん】雨も4日目になるとうんざりしてくる。合間を縫って散歩に出るが、ものの5分でまたしても降ってくる。
 日置のことを勉強しだして太陽の位置を気にするようになった。朝の散歩は大体8時頃だが、秋分の頃左の尾根の途中だった陽が、いまや一番右のピーク辺りとなっている。それだけ南に下がっているわけだ。P1010763

 

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