晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「探訪 丹後半島の旅(中)」 11/21 

2013-11-21 | 雨読

2013.11.21(木)曇り

 澤潔氏の著書は「京都北山と丹波高原山旅の蠱惑」に続いて出版されたのが「探訪丹後半島の旅(上中下)」である。そして最後に出版されたのが「西丹波秘境の旅」なのだが、その間に出版された「京都北山を歩く1.2.3」に比して内容的に物足りなさと疑問を感じたので、「雨読」の中でも酷評している。
 ところがこの「探訪丹後半島の旅」は実に素晴らしい内容である。この差はなにかと考えるに、氏の年齢の問題かと思ったのだが、実に本書の発行は71歳の時なのである。「西丹波秘境の旅」が83歳の発行だから、その12年のギャップがあるのかなとも思う。しかしわたしの読解力、特に行間を読む力の無さのために「西丹波秘境の旅」に対する評価が低いのかも知れない。もう一度、いやもう数回「西丹波秘境の旅」を読んでみようと思っている。

「探訪丹後半島の旅(中)」澤潔著 文理閣 1983年12月第一版 綾部図書館借本P1010735

 



 こんな境地にわたしを追い込むほど「探訪丹後半島の旅」は素晴らしい。特にこの(中)版で感じるのはその文章の文学的、情緒的なことである。もともとそうだったのかも知れなくて、わたしが気づかなかっただけかも知れない。
 例えば「付ー丹後半島縦貫林道初乗りの記」の一節を紹介しよう。

 さて、この日、お山の春は下界より一足おそく、林道の両サイドを縁どる厚ものの八重桜は、車窓を去来し一行の白髪に映え感嘆久しくして若やぎの声やまず。嵐気に浄められた薄桃のその花色を眺めていると、なんだか磯砂山の天女の羽衣の上に、腰をおろしているような錯覚を覚えるのである。渓間を覗くと、少し闌けた彼岸桜の花の間に、点綴して鎮もるように咲く白い辛夷(こぶし)の花の風情も捨て難い。

 実はこれは極端な例で、ここまで来るとわたしも食傷気味であったことは確かである。文中に高尚すぎで意味のわからない言葉が登場するのは堪らない。
 しかし随所に文学作品が登場するのは好ましい。長々と引用されていても少しも苦にならない。むしろその本を買って全編を読みたくなるほどだ。対象が丹後だけに水上勉氏の作品も多く登場する。水上氏も澤氏も丹後のウラニシ気候が好きだという。文学作品はフィクションかも知れないが、登場する地域の様相やそこに生きる人々の思いを如実に表しているのは文学作品かも知れない。
 また、随所に蜷川民主府政の功績が紹介されている。もう府民の脳裏から消え去ろうとさえしているのだが、蜷川知事ほど民衆のため府民のために工夫を凝らした納得のいく行政を行った政治家は地方にも国にも居なかったと思うし今後も出てこないだろう。もっとも政治に己の利権だけを求める輩には疎ましい存在だったのだろうけど。P1010562

 


丹後半島の山は深い、その真ん中を丹後半島縦貫林道が走っている。これも蜷川知事の功績だ。


  蜷川氏が力を入れた半島一周道路の経ヶ岬の東のトンネルは白南風(しらばえ)隧道といって、蜷川知事の命名と聞く、何と素晴らしい名前だろう。

【今日のじょん】きょうはおかーが出かけるってんで一時間早く散歩に出た。明るいけれど陽はまだ昇っていない。昨日の写真と比べると何か違う。P1010809

P1010808



 そう、いつも賑やかい鳥たちが一羽も居ないことだ。一時間違いでこんなに違うわけ。
 

コメント
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