晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(60) 阿比地神社-4 11/15

2013-11-16 | 上林地名考

2013.11.15(金)雨、曇り

 
 阿比地神社の鎮座する場所についての疑問は初めて神社の森を見たときに始まったが、最近に紐解いた福知山市史第一巻にまさに同様の疑問が呈されていることに驚いた。おそらくこの文は芦田完先生の手になるものと思うのだが、歴史家として尊敬する先生と同じ疑問をもった自分が誇らしく感じるのである。

 
ここで今一つ考えてみなければならないことは、この宮がこの付近でも最も低いところに位置していることである。社地は地盛りをしてつくったものらしい。洪水の際には社の付近は最も早く浸水する。延喜式内社といえば今から少なくとも千年以前に中央に知られていた宮である。千年以上昔といえどもこの地は今より高かったとは思われない。むしろ逆に、由良川またはその分流がこの辺の山麓を流れていたかとも思われる。(福知山市史第一巻)

 という風に始まり、土器の出土状況、古代人の居住環境などから考えて、元々の神社はもっと小高い丘の上、飲料水の得られるところ、具体的には観音寺の付近ではと遠回しに書いているのである。どうやらそういう伝承があるようで、「式内社の研究」(志賀剛著)に阿毘地は阿由知(あゆち)の訛で湧水の地の意であり、補陀洛山観音寺の閼伽井(あかい)のあたりが旧址かとあるようだ。
 福知山市史もこの説を肯定して、次のように書いている。
P1010761


 

阿比地神社から東南に1Km弱のところに観音寺がある。

 
阿比地神社もまた観音寺の子村である興が出来て、その勢力もある程度発言権を持つようになると、氏神をこの子村に近いところへ移し、新旧両集落に都合の良い位置に遷座させたものでは無かろうか。

 福知山市史の一連の説に同感する、そう考えると水害の多そうな地での鎮座、東西に二つある鳥居の意味がはっきりするわけだ。
 現在地は観音寺と興の境界線上にあるわけでなく、やや興の側にあるのだが、往時の境界が現在と異なるかも知れないし、特に境界線上になくてもその付近であればいいことだと思う。
P1010753

 


社殿は東、観音寺の方を向いているが、西にも参道や鳥居がある。

 東西の鳥居は観音寺村方面と興村方面に向いており、これは明らかに両村を意識したものと思われる。特にどちらにも手水鉢があるのはどちらかでも参れるというよりは、観音寺は東から、興は西から参ったのではないだろうか。
P1010759



これは西の参道にある手水鉢

 なお、遷座に関する説はあらゆる書物に記されているのだが、東西の鳥居に関して言及しているものは見当たらない。わたし個人の発案による見解であるので、念のため。つづく

【作業日誌 11/15】
芝生草引き(8日目)約半分終了

【今日のじょん】最近よく毛が抜ける。カイカイも頻繁なので心配になり、ネットで調べてみたら、春、秋に抜け毛するそうだ。冬毛が出てきたのだろうか。
 かみさんがファーミネーターしたらバケツいっぱい抜けた。猪除けにしたら、、だって。P1010714



けーとくちん、何となくもこもこ。

 

コメント
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