晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ありがたいことに貧乏で(1) 11/28

2013-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

2013.11.28(木)曇り

 一滴文庫のパンフレットに、「たった一人の少年に」という水上勉先生の誌がある。
 ぼくはこの村に生まれたけれど、
 十才で京都に出たので
 村の小学校も卒業していない。
 家には電灯もなかったので、本もよめなかった。
とつづく。
P1010824



一滴文庫の中の藁葺屋。水上先生の生家は同じ岡田の谷筋にあると聞いたが、一軒家ではなくて納屋のような所を借りていたと淳さんはおっしゃっている。筋金入りの貧乏である。

 わたしも随分貧乏だったけれど、時代も違うし、水上先生や渡辺淳先生の貧乏には足下にも及ばない。しかも農家の家はみんな同じような貧乏で、貧乏で無い家は勤め人であった。農家でも昔は庄屋でもしていたのだろうか財産家の家もあって、分限者(ぶげんしゃ)と呼んでいた。
 そんなだから電灯も点いていたし、学校にも行けた。小学校の図書室の本は全部読んだ。それは乱読というもので、あまり内容は分かっていなかったように思う。     最も印象に残り、その後の自分に影響を与えただろう読み物は、ジュール・ベルヌの全集だった。十五少年漂流記、八十日間世界一周、地底旅行、月世界旅行、海底二万里など有名な物語である。探検冒険秘密基地など大好きな少年だった。
 本は図書室でなんでも読めたけれど、毎月学校に来る本屋さんから雑誌を購入することは出来なかった。小学何年生とかいう例の雑誌だと思うが、お金持ちの子は毎月購入していたのだ。今から思えばそれだって図書室で読むことが出来るが、子供心にも自分で所有したいという気持ちがあったのだろう。
 どうしても欲しいとなると、どんどん願望は膨らんでくる、遂に親のお金をくすねることとなる。財布のありかは知っていたし、昼間はいつも留守だから簡単なんだけど、こんなにドキドキしたことは無かった。
 本屋さんに注文をして、届いたときには嬉しくて、飛ぶようにして家に向かったが、まずいことに気づく。新しい本が家の中にあったらすぐに怪しまれてしまう、そこで近所の藁小屋で読むことにし、本は藁の中に隠して素知らぬ顔で家に帰る。
 これでばれることはなかったが、ひょんなことで悪事がばれることとなった。
 その顛末は明日につづく。
 なぜこんなことを書くのかって、それはくしくも渡辺淳先生が来じょんされたからである。
P1010864



淳さん今日は体調もよろしいようで、楽しいお話を聞かせていただいた。

【作業日誌 11/28】木こり、玉切り、枝整理
P1010862



これで十日分ぐらいあろうか、もっとも二年先だが、、、。

【今日のじょん】淳さんは上林の紅葉を見に来られたそうだが、あいにく今年は色が悪い、しかも終わりかけで茶色くなり始めている。ところが最近上林の汚い紅葉が好きになり始めた。テレビで流している寺院なんぞに植えられた紅葉にちっとも魅力を感じないのだ。P1010845


このときだけ広葉樹が存在を主張する。 

P1010846

じょんはそんなのカンケーねえ。

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雨読 続・「日本三景の謎」 11/27

2013-11-28 | 雨読

2013.11.27(水)曇り

 二、三章については凝った観光案内のようなもので、「謎」も出てこなければ「謎解き」もない。
 ただ宮島の弥山の「干満岩の謎」は本当の謎である。岩の表面にこぶし大の穴があいており、その水位が潮の満ち引きと連動しているというのである。水は塩分を含んでいるというが真偽のほどは分からない。
 ネット上で塩分濃度や水位のデータを探したが、はっきりしたものは無く、氏の言うように海水であって、潮の干満と連動しているとは言い切れない感じがする。まして「海と干満岩は535メートルのパイプでつながり、海水を吸い上げる仕掛けになっていることになる」という氏の想像は非科学的といわざるを得ない。
 実は同様の干満岩が高知県や姫路市にもあり、姫路市のものは窪みの水たまりが干満により上下するそうだ。となるとこれは海からつながっているというよりは何か他の自然現象が考えられる。わたしは地中深い割れ目に水が溜まり、干潮満潮つまり月の重力で地形が伸び縮みする際に水位を上げたり下げたりするのでは無いかと想像する。Img_5137

 


姫路は高岳神社の北の山の蛤岩という。高知は位置不明、ネットの地図では県道44号線薊野周辺を指しているのだが、書いてある住所は南国市となっており矛盾している。(示している地図は写真の道標の近くで、自転車旅行の際通過したところだ)

  また、第三章で「そもそも、田村麻呂が東北征服を命じられたのは、東北の方位が「鬼門」であり、鬼が出入りするとして忌み嫌われたからだという。」と言うような文章を見て、この著者の歴史に対する認識はどのようなものか疑問に感じる。
 日本三景をめぐる旅の資料としてうんちくを語るには適当な本かも知れないが、歴史や地史を研究する上での資料としては難がある。おわり

【作業日誌 】木こり、伐採

【今日のじょん】じょんはおでんが好きなんだナ、目線はじっと鍋に向かっている。夕べは食い過ぎて吐いてしまった。チュウイチュウイ。P1010855
P1010856

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