晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(61) 西浜-2 5/14

2014-05-15 | 地名・山名考

2014.5.14(水)曇り

 マキノ町西浜に穴虫という小字が存在することがわかり、更に他の地名を調べると、すぐ隣に別所という地名が見つかった。別所地名については柴田弘武氏が産鉄と俘囚の移配地として展開されているところで、わたしも別所探訪の中で近隣の別所について自説を展開しているところである。
 この他に、今津町の箱館山の麓に日置前(ひおきまえ)という地名と日置神社があり、わたしの調査中である三項目が奇しくもこの地域に存在していることに何か共通のベースがあるのではないかと感じている。
 穴虫(古代葬法)、日置(古代測量)、別所(古代産鉄)を繋ぐものは何か。賢明な誰もが気付くことだと思う、それは渡来人でしかないだろう。
 穴虫に関する資料は何も無いので、別所について調べてみる。柴田氏の「全国別所地名事典(上)」に近江国マキノ西浜の別所が載っている。
 地名辞典の小字一覧の書き順からして別所と穴虫が隣接していることは理解できる。また別所地名事典には別所と印内の地図が書かれており、別所は藤美寮の裏山と書かれている。
 市役所に行くと字配置図というマキノ町全体の地図を閲覧させてくれた。どこの自治体でもそうだが、複写は出来ないので鉛筆で写すこととなる。このときの要領は、事前に国土地理院の地図などをコピーしてその上に書いていくことだ。白紙に写しても帰ってみると一体どこなのか解らない。地形図の上に書くとほぼ正確に字の位置が解る。すぐに穴虫、別所の位置は確定できた。ちなみに別所地名事典に記されている別所の位置は間違っている。正確にはマキノ駅の西北、破線で書かれた尾根の末端部分である。藤美寮に関する記述も間違いで、藤美寮は障がい者支援施設である。
 穴虫と別所の位置は確定できたが、今回の目的である穴虫、福本、長谷の小分け地名の位置は字配図では確定できない。
P1020892
P1020890 


藤波園の南の池から穴虫を撮る、藤波園の奥まで行ったが金網があって出られない。穴虫に行くには別のルートを探さねば、、、。
 こんな風に自治体を訪ねると、字配図の他に独立した小字の地図、字切り図というのがある。しかし高島市にはそのようなものは無いという返事だった。もうこれ以上市役所で得られる情報は無い、丁寧にお礼を言ってマキノの宿泊地に向かう。
 ただひとつ小字穴虫の南に福本という字がある事が解った。その小分け地名が福本、穴虫、別所前なのだ。
穴虫(穴虫、福本、長谷)
福本(福本、穴虫、別所前)
別所(山崎、岩ノ下、柳谷、別所、御墓)
岩ノ下(笠取、岩ノ下、山崎、夫婦岩)

この地名の配地は一体何だ、小分け地名の重複をどのように理解すればいいのだろう。とにかく現地を見て、地元の人に聞いてみようと、ピックランドでレンタサイクルを借り、現地に急ぐ、時間は2時間しか無いのだ。つづく
P1020887


マキノで有名なメタセコイヤの並木の脇にピックランドという観光施設があり、自転車を借りることが出来る。2時間300円。

【今日のじょん】3年前はペットホテルに入れなくて、車の中で寝たので今回が初のお泊まりと言えようか。かみさんは「じょんは寝られるやろか、、」なんて心配して3日前から寝られなくなっている。????
 やはり寝床が変わるというのは緊張するらしく、ちょっとした物音にも起きてウロウロしている。室外の蛙の声やドアの音などにも反応して吠えている。じょんも寝てないがこちとらも寝られない。P1020926_2

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穴虫考(60) 西浜-1 5/13

2014-05-15 | 地名・山名考

2014.5.13(火)快晴

 高島市マキノ町西浜は琵琶湖の西北、マキノ町の湖岸から山崎山の山稜部分を含む地帯である。東隣の海津は塩津、今津とともに平安末期頃から湖上交通の重要な拠点となっている。
 偶然マキノ白谷に旅行することとなり、この地域を地名辞典で調べていて「穴虫」を発見する。ただし、角川日本地名大辞典25滋賀県に掲載されている小字一覧は他の号とは少し異なり、明治15年の「滋賀県小字取調書」を元にしており、かなり古い地名が書かれており、研究者には参考になるが、現状の住居表示と異なり現地を探すのが難しいかも知れない。小字の付随して括弧書きで小字の中の小分け地名が記されている部分もあり、これなどはその土地の所有者でしかわかり得ないもので、将来的には消えてしまう可能性もあるので、値打ちのあるものだと思う。
Img_0104
 

高島市の湖岸からは常に竹生島が望める。(2006.8.3)
 前書きが長くなったが、この西浜に穴虫(穴虫、福本、長谷)と書かれている。穴虫にはアナムシとルビが振ってあるが、福本、長谷は福本はふくもとでいいと思うが、長谷は何と読むか解らない。
 これはまさに穴虫パターンそのものでないかと訪ねてみる気になったのである。つまり、福本は”吹くもと”
で山風の発生する谷、長谷は泊瀬、初瀬で墓地、葬地ではないかと考えた。
 これは何が何でも現地を見てみたいと思うし、長谷がどう呼ばれているのか、またどんなところか見てみたいと思わせる。
 高島市は2005年にマキノ町、今津町、新旭町、安曇川町、高島町、朽木村が合併してできた、非常に広域の市である。わたしが始めてこの地域を訪れたのは1974年か75年の冬にマキノでスキーをしている。その後箱館山のスキーや朽木のゴルフ、新旭のトライアスロンなど何度も訪れ、2006年の自転車旅行で立ち寄った高島市歴史民俗資料館は歴史や民俗に深い興味を抱くようになったきっかけとなっている。
とりあえず穴虫の位置を調べるために新旭の高島市役所を訪ねる。P1020886 つづく
Img_0054


高島市役所は随分立派な建物である。右は歴史民俗資料館の展示(2006年)

【今日のじょん】お泊まり旅行は2011年11月城崎以来である。そんときはケージのペットホテルに寝られなくて本当に困ったが、今回は一緒の部屋に寝られるというので、期待と不安が半々でやってきた。
 天気が心配だったけど予報に反して快晴の真夏日ととなり、写真のようにお昼も日陰を探してタイヘン。
P1020885
ここは比良とぴあといって、隣接の別荘地がおとーの日本1周自転車旅行の初日の宿で、思いで深いところである。

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穴虫考(59) 墓地地名-3 5/12

2014-05-14 | 地名・山名考

2014.5.12(月)曇り

 イヤダニ、アシダニ、地獄谷、死人谷、ムクロダニなども古い葬地ではないかと言われている。(土井卓治)イヤダニ、アシダニなどは数が多すぎて、一概にそうとも言えないように思うのだが、確実に葬地である例もあるようだ。

 埋墓に対して詣墓には、ヒキハカ、マツリバカ、アゲハカ、テラバカ、ウチバカ、ラントバなど様々あるが、ラントバとは卵塔場のことだろう。
 民俗学的には詣墓は、供養としての石塔が出現してきた近世のものと言われている。年代としては1600年代以降という風に言われているのだが、わたしは詣墓に対する精神的な意識というものはもっと以前に、古代から醸成されていたのではないかと考えている。
P1020761
 

処理の済んでいない薪の原木を写したものだがしっかり隣家の墓地が写っている。これは近年この地に移したもので、本来は右手の山中にあった。いわゆる詣墓で、元々の形は供養のための石塔だけのものである。屋敷の近くの斜面に、屋敷毎にあるので周囲は墓だらけであり、何の違和感もない。


 しかしながら墓地地名としての詣墓は近世、早くても中世以降のものと思われるので、穴虫地名が古代の発生とするならば、穴虫パターンに詣墓地名は出てこないのではないかと考えている。
 ただ、墓地地名として埋墓、詣墓が厳密に分かれているとは考えられないので、実際には単に墓地であることをもってそれぞれの呼び方が使われているようなので、例外的に現れることが予想される。現在確認されている穴虫パターンには詣墓地名は現れていない。
 問題は「青」地名と「泊瀬」地名である。これらの地名については既に多くを述べてきたのだが、これらが墓地を表す地名であることは疑うべくも無いことだが、どうしてそうなるのかという点で釈然としないものが残っている。
 泊瀬については、谷川氏が述べるように「果つるところ」という意味なのなら何も問題ないのだが、私自身は確信できないでいる。
 穴虫パターンに対応する墓地地名はまだ割合を云々する状況ではないのだが、「青」地名はかなり高い割合で出てきそうだし、「泊瀬」地名も幾つか出てきそうだ。つづく

【今日のじょん】朝の散歩が終わって、ぽんぽこぽんで遊び、おやつ少しもらって水飲んで、さあケートクチンとなったら、固まってしまって動かない。もっと遊んでいたいみたいだ。「早く来なさい」と呼びに行くと、いかにも嫌そうな顔ですごすごと歩いてくる。なんとも表情豊かな子である。P1020881

 

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穴虫考(58) 墓地地名-2 5/11

2014-05-12 | 地名・山名考

2014.5.11(日)晴れ

 穴虫パターンの最奥に現れる葬地、墓地地名は如何なるものか、調査が進んでいないので確実なことは言えないのだけど、北ノ庄穴虫(亀岡市)の青野、捨谷や多賀穴虫(綴喜郡井手町)の三昧(さんまい)など既に紹介済みである。小田宿野(宮津市)の穴虫はまだ位置が確定できていないのだけど、無双ヶ鼻が無所ヶ鼻ではないかと予想している。
 このように穴虫に対応していると思われる地名は一般的に墓地地名とされているものが多く、現在予想している地名としては上記の他に、青地、長谷、青井、菖蒲、青戸などがある。これら一般的に墓地地名とされているものが、本当に穴虫と対をなすものか今後の現地調査にかかっているが、もし穴虫パターンが実際に存在するものと認められたなら、穴虫の由来もおのずと見えてくるだろうし、墓地葬地のあり方に新たな見解が出てくるのではないかと期待している。
 では一般的に墓地、葬地についてどう呼ばれているか、どのような地名となっているか述べておきたい。
 サンマイ(三昧)
 地名でサンマイは多く見当たる。一般的に埋墓のことを指すようで、平安時代に貴族が墓地に法華三昧堂をつくったことが起源という。(堀一郎 「我が国民間信仰史の研究」)
高島市に牛ざんまいという地名がある。牛馬の埋葬地とされたところだろうか。
P1020386

 
念道辺りの動物の三昧はこの谷だったと聞いたことがある。はずれのさびしい谷である。

 ムショ、ムソバ、ムソ(無所、墓所)
 これも両墓制地帯では埋墓のことを指す。

 ナゲショ、ステバ(捨場)
 東北地方では捨てることを「なげる」という、いずれも埋葬することなのだが、死体処理の意識としては今日とは差異がある。湖北ではドウガラステバと呼ぶところもあるという。(土井卓治 「民俗資料に現れた墓地」)
 

 この他主に埋墓に使われる呼び方は、イケバカ、ミバカ、ステバカ、タッショなど数多い。
 奄美、沖縄方面ではグショウ、グソー(後生)が一般的でムヤ、モーヤ、トウールなどがある。つづく

【作業日誌 5/11】
 芝刈り(3回目)

 【今日のじょん】このツンツルテンの榎に葉が茂るというのは信じられないと冬の間思うのだが、知らない間に芽を吹き葉が茂ってくる。なんとも自然って偉大だなーと妙に感心したりする。じょんは知らん顔で草を食んでいるが、夏はこの木陰にお世話になるのだ、ワン。P1020879

 

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穴虫考(57) 墓地地名-1 5/10

2014-05-11 | 地名・山名考

2014.5.10(土)快晴 穴虫考(56)は2014.5.8

 穴虫考のなかでどうして奥武にこだわるのか不審に思われる方も少なくないだろう。最初から読んでいただいている方にはおわかりと思うが、いきなりの方は穴虫と奥武がどう関係するのか理解に苦しまれると思う。
 穴虫という変わった地名について調べて行くと奇妙な共通点があることに気付いた。穴虫ー穴地形の谷、川、街道ー葬地、墓地という位置関係が見られるのだ。もちろん検証はこれからなので、今のところ予想としか言えないが、一応この位置関係を穴虫パターンと名付けた。ではその葬地、墓地はどうして葬地、墓地と言えるのかと言うことが問題になる。地図や航空写真で現実の墓地が確認出来るところもあるが、それはあくまで現在の様子であり、穴虫という地名が出来た時代に墓地、葬地であったということにはならない。ただ、大規模な墓地などは、その保守性から見て昔から墓地であった可能性は高いと考える。しかしその地が墓地地名であったなら、それは確実に墓地、葬地であったことが確認出来る。なぜならば墓地、葬地で無いところにわざわざ墓地地名をつけることはまず無いと考えられるからだ。
P1060775
 

亀岡市千代川町北ノ庄穴虫、千々川を遡ると青野がある。青野には捨谷という地名もあるのだが、、、。
 では何が墓地地名かということが重要課題になる。墓地地名については様々な書物に書かれているのだが、そのすべてを鵜呑みにするわけにはいかない。かといって客観的に墓地地名を分類することは不可能である。自分なりの主観でもって分類する以外にないだろう。そういう意味で「青」地名は墓地葬地を表す地名かということは非常に重要なこととなる。
 沖縄の「奥武」が本土の「青」と同一か否かを追求することは穴虫を考える上で欠かせない作業である事を理解いただきたい。つづく

【作業日誌 5/10】薪割り

【今日のじょん】今日はおしゃれな車が来じょんした。軽トラ、軽ワゴンが似合う上林には異色である。この三輪のバイクはトライクというそうで、なんと2,000ccだそうだ。
P1020869


  うーむ高ソー、その後フェアレディZなんかも来たりして、じょんのびも高級志向になったのかな?佐々木さんのコペンもいいぞ。高級車はじょんにはきょーみ無くて、初来じょんの小次郎君と遊べてヒコヒコ。また来てねっと。P1020871
P1020872P1020876


コジロー待ちかねたぞ、、、

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雨読 京滋 びわ湖山河物語 5/9

2014-05-10 | 雨読

2014.5.9(金)曇り

 著者の沢潔氏は明治45年のお生まれで、本書が出版されたのが1999年だから実に87才の時の出版となる。既に紹介済みの「幽界と流人の島々を行く、上下巻」(20014.3.19、4.16参照)は2001年の出版だから、なんと89才時のことである。「西丹波秘境の旅」(2011.1.8、9参照)の中に、「もう年のせいで訪問できない」というような表現があったのでこの本が最終かなと思っていたら、その後にも続々と出版されているのだ。元々遅咲きの著者だが、その分90才近くまで出版されていることに敬意を表したい。
 「京滋 びわ湖山河物語」沢潔著 1999年7月10日第1刷 府立図書館借本
P1020878

 始めて気付いたのだが、表紙の著者の後に[地名作家]と書かれている。地名研究家、地名学者というのはあり得るが、地名作家というのは初見である。著者の意図なのか、編集者発行者の意図なのか解らないのだけれど、澤氏にぴったりの肩書きだと思っている。わたしはかつて澤氏の著書に地名研究者としての論文を求めた。確かに地名に関する深い洞察はあるのだけれど、大変文学的な情緒あふれる文章が現れると思ったらエッセー的な文章にもなり、時には読者にとって関係の無い個人的な次項が出てきたりする。地名研究の一環として読んだ際には不満な点が残り、雨読の中で随分批判的な文を書いてきた。
 ところが澤氏の本を読み続けていると、研究論文でも紀行文でもなく、エッセーでもなく創作文でもない独特の沢節に慣らされてくる。
 地名作家という肩書きがどこにもない独特のジャンルとして澤先生に当てはまるのかなと思っている。
 内容については恐ろしく多岐にわたっているのでここで記することは止めにしておこう。知識の宝庫というか巨大な蘊蓄集といえばいいのだろうか、巻末の参考文献欄には百冊を越える文献が著者、発行所とともに記されている。先生のきまじめさが窺えるところである。

【作業日誌 5/9】
じょんのび谷岸の伐採、草刈り
P1020866
 

今やらないと取り返しがつかなくなる。
【今日のじょん】5月度のシャンプーをする。期待の体重測定では努力の甲斐無く先月同様19.4kg、主食のフードは確実に減らしているんだけど、そんならなんやねん。

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穴虫考(56) 奥武は葬地か-17 5/8

2014-05-09 | 地名・山名考

2014.5.8(木)晴れ

 奥武島は万物が来たりて、そして去って行く島であり、そのひとつの現象として葬地になるのだろう。そのなかで奥武島が特に葬地としてクローズアップされるのは、おそらく弥生時代以降の海洋民族による水葬の影響が大なのではないだろうか。水葬の存在については、船形石棺や壁画、あるいは古事記などの文中や伝説の中にもそれらしい痕跡があることで認められる。
 森浩一(考古学者)、横田健一(文化人類学者)両氏の対談(「墓地」社会思想社)のなかに、「縄文人の遺骸に対して弥生人の遺骸は非常に少なく、死者を海に流したかあるいは海岸に埋めたかという仮説も出ている」という森氏の意見が出されている。はっきり水葬が行われていたとは言っておられないが、その後の遺跡からも船材を使った木棺や船を棺に使った例などが出ているという。水葬であれば、本来遺骸を船に乗せて沖に流していたものが、あの世とこの世の中間にある、奥武島に遺骸を安置し自然に任せるという葬法が考えられるのである。
 海岸部であれば地先の島であったり、岬であったりするのだが、内陸に行くと、川の中州や集落の対岸が葬地となり、水が出ると死骸は流されることになる。以前に想像した由良川沿いの鳩瀬などはまさにそういった場所といえまいか。(2014.3.29参照)
P1020832
 

花壇展が行われる白瀬橋上流の由良川河川敷も鳩瀬である。かつては由良川の右岸であり、中州だったのかも知れない。鳩瀬は泊瀬、初瀨(はつせ)の転ではないだろうか(2014.4.29)
 では沖縄の奥武と本土の青は同一かという問題になるが、少なくとも地形的、位置的には同一のものと見ていいだろう。幾つかの青島に葬地の跡や墓地といったものが見られ、伝説などもあるようだが、すべての青島について調査されているということではない。まだ未見の文献も多くあり、想像の域を超えないのだが、奥武島同様に葬地としての青島が存在するようだ。
 おわり
【作業日誌 5/8】
白樫の苗植え付け(実生のもの)
薪割り

【今日のじょん】あまり水を飲まないじょんだったが、よく飲むようになった。年齢のせいもあるんかなあ。P1020860

 

 

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穴虫考(55) 奥武は葬地かー16 5/7

2014-05-07 | 地名・山名考

2014.5.7(水)快晴 穴虫考(54)は2014.5.1

 「南島の地名」第6集の中の「青」と「オウ(オー)」の地名学という目崎茂和氏の論文は結局仲松弥秀氏を越えることは無かった。ただ、提起された問題点は「奥武」の真実に迫る核心的なものであると思うし、論文の中で示された参考文献はわたしにとっても未知のものが有り、大変参考になりそうだ。手に入れようのない論文もあるが、できうる限り目を通して「奥武」の真実に迫りたい。
 本題の「奥武は葬地か」という課題について現在のところのわたしの見解を述べてこの項を一旦終了したい。
 奥武は葬地である場合が多いが、必ずしもそうでない場合もあり、葬地というより聖地と考える。葬地と聖地は現代人の思考からすると一見矛盾するように思われるが、かつての沖縄(沖縄に限らないが)の人々の他界観からするとそれは矛盾するものではない。
Img_2860Img_2867 
 

久高島では人は東からやってきて西に去るとか、、。
東海岸イシキ浜(左) 西海岸の墓地、墓は西を向いている(右)(2007.2.28)
 ニライカナイの考え方では、人は海の彼方のニライカナイから来て現世で誕生し、やがて死んでニライカナイに帰って行く。「奥武島」はこの世とあの世の中継点のようなもので、死んだ人をその地に運んだのだろう。また、アブシバレイの際に害虫を封じ込めたのも事実であり、多くの例を見る。今帰仁村の仲尾次ではアブシバレーの日、奥武島に害虫を送るほか、村のそこそこに置かれている「報恩箱」(割れガラスなどを入れるゴミ箱)のガラまでも奥武島に埋めたという。(島々清しや)
 谷川健一氏は「常世論」の中でこのことをうまく書いておられる。
 
常世は日本人の原郷であるがゆえに、善きもの悪しきものすべて常世からもたらされるというのが、日本人の伝統的な観念であった。恐ろしい伝染病から鼠や蝗や蚤のような害をする動物でさえ常世からやってきたと信じられた。そこで疫病が流行したり、害虫に見舞われたりすると、それらを常世に送り返す儀式がくりかえしおこなわれた。つづく

【作業日誌 5/7】
ミニトマト植え付け

 【今日のじょん】ゴールデンウイークは好天に恵まれ、半分近く田植えが終わっている。どんなに時代が進んでも、災害や悪天の被害を防ぐことは出来ない。立派なお米になるまで、何事も無く育ってくよと祈る思いである。じょんだって上林のコシヒカリ食ってんだから。P1020854

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夏の準備 5/6

2014-05-06 | 日記・エッセイ・コラム

2014.5.6(火・祝)晴れ

 GW最終の休日、気温はやや低めだが、春から夏に向かう準備を始める時だ。周囲では田植えの真っ最中で、農家の方はそんな悠長なことは言ってられないのかも知れない。
 それでも都市でサラリーマン生活している時には夏の準備ったってストーブと扇風機の入れ替えと自分の衣替えするぐらいでどうって事は無いのだが、ここではそうもいかない。
 ストーブと煙突の掃除、ベランダなど外部木材の塗装、草刈り開始、夏野菜の準備、観葉植物や庭木の手入れ、段階衣替え、害虫対策、夏メニュー準備など様々だ。
 とりあえず天気がいいので、塗装から始める。ベランダ1,2階とドッグランのウッドデッキを塗装する。夏の太陽と冬の雪のため1年で相当ダメージを受ける。しっかりメンテナンスをしておかないとすぐに朽ちてしまう。特にカビの進行が早い。朝から4時間程度塗装に費やす。
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木部保護剤を塗ってとりあえず完了

 続いて本格的草刈りの始まり。芝生やドッグランは1ヶ月ほど前から始まっているが、その他のところは今日が初日、これが約3時間。この草刈りが延々5ヶ月ほどつづくと思うとうんざりする。
 害虫対策をしたかったのだが、観葉植物の室外への移動をして今日の作業は終わり。夏の準備は稼働あと2日ほどかかりそうだ。タイヘン

【今日のじょん】4日に来じょんの大吉とコモロ君、いやはやかわいいねえ。じょんも仲良く遊べたんだけど、寄る年波で疲れ気味。 
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芝の大吉、スピッツのコモロ、子犬って可愛いのよね。

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記事休みます 5/4.5

2014-05-05 | 日記・エッセイ・コラム

2014.5.4(日)晴れ
2014.5.5(月・祝)曇り

 妙に疲れて集中力が無い。パソコンの前に座ってもすぐにうとうとしてしまう。こんな時は無理をしないで記事を休むことにした。悪しからず。

 

 

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じょんのびアラカルト 5/3

2014-05-04 | 日記・エッセイ・コラム

2014.5.3(土・祝)曇り

 菅坂峠開通
 5月1日14:00に念願の菅坂峠、東舞鶴方面が開通した。片側通行ということなので信号にしたがって通行するようだが、とにかくめでたしめでたしということだ。昨年の広域農道、綾部方面への土砂崩れによる通行止めも困ったが、この場合迂回路があったので大きな影響は無かった。
 ところが今回の菅坂峠の土砂崩れは舞鶴方面へ完全に通行止めとなったので大変だった。特に両方向の通勤者は時間的にも距離的にも倍以上の苦労がかかってくる。
 噂では年内開通は無理とか言われていたが、片側通行でも開通したのは有り難いことである。

 堤防と井堰の工事始まる
 昨年の大雨で崩れた堤防と井堰の工事が始まった。といっても測量などは4月の初めから行われており、本格的工事も2週間ぐらい前から始まっている。コンクリートの井堰を押し流す水流の威力もさることながら、工事における重機の威力も想像以上だ。
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左:災害翌朝(2013.9.17 井堰の右半分が流された)
中:測量開始(2014,4,4)
右:現在(2014.5.3)

 わたしたちが子供の時から河川の堤防工事や架橋工事を物珍しく、興味深く見てきた。ツルハシとスコップで切り開き、いわゆるヨイトマケというのか、人力で基礎を固め、セメントといったって手で練ってネコ車で運び、棒きれでツンツン突いていた。何人もの人夫が何日もかかって工事する、そんな光景が焼き付いているので、たった一人のオペレータが巨大な重機を操って、あっという間にやっつけてしまう光景には唯々驚いてしまう。
 この井堰の工事は忠地区の今年の田植えに間に合わすという。驚きだ。

 草刈りシーズン開幕
 5月に入って、早朝から刈払機のエンジン音が響く。「草刈りの上林」といわれるくらい草刈りが盛んだ。これも競争になって、あの家より早く、きれいにとエスカレートする。刈払機、ソーチップ、燃料その他付属の用具など莫大な経済効果がある。その金額は、草を生えっぱなしにしておいた時の損害額の何十倍ともなるだろう。しかし、上林の草刈りはちんけな金勘定ではないのだ。これはまさに文化である。
 問題は老人の一人暮らしなどで、草を刈ることが出来なくなった家である。雪かきの場合は補助金が出るようだが、草刈りには聞いたことがない。食べ物や着るものには始末していても、草刈りには大枚を払うことになる。またそれが村の経済効果となる。
 草が飼料となっていた時にはそれなりに必要欠かさざる作業だったのだろうけど、きれいになった、すっきりしたという自己満足のためだけに莫大な金額と労力を費やすのはなんとも割り切れないものがある。
P1020717 P1020705



今年の草刈りのテーマは府道の溝とじょんのび谷である。後者はまだ手つかず。

【作業日誌 5/3】
草刈り(1-1)
薪割り

 【今日のじょん】朝方だろうか、車庫のセンサライトが点いて、じょんが吠えていた。朝になると車庫の前を嗅いでいる。犬でなし、猫でなしの黒い糞を発見、先日府道の溝に見つけたでかいアナグマだろうか。P1020840
 

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夏野菜植え付け 5/2

2014-05-03 | 違いのわからん農学士

2014.5.2(金)快晴
 GWあけかなっと思っていたのだが、予想が外れて早いめの中尾種苗の入荷となった。どちらにしても植え付けしなくてはならないのだから事前に準備しておけばいいのに、いつも苗が届いてから畑の準備を始める。石灰だって元肥だって何日か前に施しておかなければいけないのだが、いつも前日だ。
 それと植え付ける苗も何人かの方にいただくものだから、種類も時期もまるで無計画である。つまりいただいた時にいただいたものを植え付けるということになる。
 そんなわけだから、畝を計画的に使わないので往々にして連作となる。そのせいか年々収量は減少しているようだ。土作りもいい加減でいけないなあと思っている。そろそろその辺のところを真剣に改善しなくてはいけないと反省するのだが、「違いのわからん農学士」としてはまっいいかという気もする。
 さて今回の植え付けは定番のトマト、ナス、キュウリ、カボチャなんだが、品種はおぼえられないけど、最高級の品種には違いない。
 いつものように畝を造って、石灰を入れ、元肥を入れ、マルチをかけて定植をする。肥料袋をゴルフクラブの柄で囲いにして、水をやって終了。
雑草のひかれた畑もきれいになって、定植も終わって満足なはずだけど、何か物足りない。P1020839
 


定植が終わったところ。リーフレタス、スナックエンドウ、アスパラガスは順次収穫中。
 それは畑作りも6年目になって、マンネリ化していることだ。当初は播種も育苗も施肥も定植もその後の育成もなにもかも初めてで、解らないことは本を見たりネットで調べたり、近所の畑を見たりして努力してきた。鳥獣害対策だってそうだ、えらい目に遭って何かと工夫してきた。ところが今では何の工夫も無く、従来どおりにこなしているだけ。
 これでは野菜作りも面白くない、やはりテーマをもって取り組まないと意味をなさない。
 うーむ、ここに来てテーマを持てとは、、、、せんぞ考えたあげく、収穫後の調理を今年のテーマにしよう。
 例えば夏野菜は収穫が一時でしかもどっさり穫れるものだから、困ってしまう。昨年もキューリはキュウちゃん漬けしようとして結局出来なかった。今年は漫然と食べるのでは無く、新たな調理法を考えてみよう。

【作業日誌 5/2】
薪伐採
夏野菜定植

【今日のじょん】
P1020837
じょんのボール遊びの写真を撮って気付く。芝生広場にぽつぽつあいている穴は、タンポポの跡なのだ。とにかく芝生広場のタンポポは全て引っこ抜いた。芝生のむこうに白い綿毛が無数にあるのをみれば、繁殖の旺盛なことがよく解る。じょんにはカンケーの無い事だが。

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穴虫考(54) 奥武は葬地か-15 5/1

2014-05-03 | 地名・山名考

2014.5.1(木)曇り
 「青」と「オウ(オー)」の地名学を読む⑦
 沖縄の島々の方言よみについてよく見ると母音エオ部分がアイウ部分に替わって読まれていることが解る。もちろん例外もあるのだがこれだけの資料だけでもいろんなことがわかる。
 例外は「奥武→オー」「竹富島→ティードン」「西表島→イリムティ」「波照間島→パティーローマジマ」である。
 竹富の富(とみ)がドンになるのは大神島の神(かみ)がガンになるのと同じ事のようだ。また、西表、波照間の「て」が「ティ」となるのは本来「チ」と発音されるところが「ティ」となるのではないだろうか。
 となると、奥武の「オー、オウ」という発音だけが異色な存在ということになる。目崎氏の青が奥武に変えさせられたという説の一端もこういうところにあるのだろうか。
 「大東島」が「ウフアガリジマ」となるのは「大(だい)」が「大(おお)」と読まれて「ウフ」になったのだろう。ちなみに東はアガリ、西はイリなので、ウフアガリジマというのも理解できる。
 大神島の「大(おお)」は同じく尊称を表す「御(お、おん)」と読まれて「ウ」となっているのだろう。
 沖縄方言の原則からいうと、アオはアフ、アウとなると考えるのだが、それは表記上のことであって、実際にはオーと聞こえるのではないだろうか。実際に沖縄の人に青をどういうか聞けばいいのだが、すぐにそれが出来ないのがつらい。書物や方言辞書などで調べると、オールーとなっている。「奥武考」にはルーというのは、白(シルー)、黒(クルー)のごとくと書かれている。
 どうやらティが発音されているようにオーも発音されているようだ。
青(アオ)→アフ、アウ→オーという転訛の過程が想像される。
Img_2679
 

沖縄の海は青い、島影はイヒャー(伊平屋島)
 宮城真治氏は「沖縄地名考」のなかでオーゲーン、オー餅、オー酒(いずれも神事に使用される)のオーは「青」ではないとされている。そしてそれを「扇ぐ」のアオではないかと書かれている。同じアオでもまるで意味の違うものがあるのだ。
 奥武島の由来は何かと考えるとき、地理的、民俗的に同様の青島が本土の沿岸に存在し、その多くが青島とよばれていることから、やはり奥武は青なのではないかと思うのである。おわり

【作業日誌 5/1】
夏野菜植え付け準備

【今日のじょん】
ゆきちゃんは穴掘り犬だ。先日もやっと根付いた芝を掘られて困っていたのだが、今回もバラアーチのそばに大きな穴をあけてしまった。よくみると芝の部分は避けていたのでやれやれというところだが、植え付けたティフトンにはネットを張り巡らした。P1020834 P1020835  

 


えらい堀よったなー、網しとかんと、、、

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穴虫考(53) 奥武は葬地かー14 4/30

2014-05-02 | 地名・山名考

2014.4.30(水)晴れ
「青」と「オウ(オー)」の地名学を読む⑥
 沖縄や伊勢志摩の青島が大和政権による言語政策で奥武島と読みかえられたという説は俄に信じられない部分があるが、奥武島のオウ、オーという呼び方には違和感をおぼえている。過去に読んだ沖縄方言に関する本に沖縄では母音が三音であるという風に書いてあった。つまりアイウエオのエオが無くてアイウの三音で表すということである。
 オキナワ(沖縄)はウチナーとなりミヤコ(宮古)はミャーク、イエジマ(伊江島)はイージマとなるがごとしということだ。
 となるとオウ、オーという発音はあり得ないということになる。ただ表記上そうなっているだけで、実際にはウウ、ウーと呼ばれているのかも知れない。沖縄に滞在していたときにはそこまで考えていなかったので確かめていなかったのだが、現地の方の奥武の発音を生で聞いてみたかった。
 「島々清しゃ」に紹介されている島々は、一般的なよみと方言名が書かれている。この中で一般よみがエ、オ母音を含むものを紹介してみよう。
伊平屋島(いへやじま) イヒャImg_2597



伊平屋島と野甫島は橋でつながっている。(2007.2.21)
野甫島(のほじま) ヌーフ
伊是名島(いぜなじま) イヂイナ
沖縄島(おきなわじま) ウチナー
伊江島(いえじま) イージマ
Img_2487Img_2560 


伊江島の軍艦のような島影は40数年前始めて沖縄を訪れた時から印象的だった。(左)瀬底島は瀬底大橋で架橋されている。(右)(2007.2)

瀬底島(せぞこじま) シークジマ
津堅島(つけんじま) チキン
奥武島(おうじま) オー
久米島(くめじま) クミジマ
南大東島(みなみだいとうじま) ミナミジマウフアガリジマ
宮古島(みやこじま)ミャーク
下地島(しもじしま) スムズジ
池間島(いけまじま) イキマ
大神島(おおがみじま) ウガン
竹富島(たけとみじま) ティードン
小浜島(こはまじま) クバマ
西表島(いりおもてじま) イリムティ
波照間島(はてるまじま) パチラージマ パティーローマジマ
一般的な島名が方言ではまるで違う意味で表現されていると思われるもの端除いたのだが、これらのひらがな部分とカタカナ部分をよく見比べていただきたい。つづく

【作業日誌 4/30】
夏野菜植え付け準備

【今日のじょん】何じゃこりゃ、恒例の中尾種苗の苗である。どこの種苗店、ホームセンターを廻ってもこれほど立派な苗はない。それだけに野菜作りに気合いが入るのよネ。P1020833  

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穴虫考(52) 奥武は葬地か-13 4/29

2014-05-02 | 地名・山名考

2014.4.29(火)曇り、雨
「青」と「オウ(オー)」の地名学を読む⑤
 相島と同音となる「小島」「尾島」「雄島」(おしま・おじま)などについて福井県三国町の「雄島」、宮城県仙台湾の「雄島」、舞鶴沖の「冠島」「大島」について、葬地あるいは海人世界だという伊勢志摩の「相島」との共通性を説いているが、具体的な証拠が示されず、あくまで予想の域を出ない。
 最後に海人系地名としての「ア」地名が大和政権の言語政策によって「オウ」に変化したとする、興味深い説が書かれている。
 「ア」を接頭語に持つ荒崎、荒島、赤崎などは海人関係地名とされ、海神の上陸したところなどという説が、外間守善らによって唱えられているという。
P1010833 P1020522



大島半島赤礁方面を望む、右は青戸入江
小浜湾には安土、青戸、朝倉鼻、赤礁、蒼島、青井崎、阿納尻などの「ア」地名があるが、、、

 沖縄に青島がなくて奥武島となり、伊勢志摩では青島がなくて相島(おしま)が存在する。
 「アフ・アオ」が「オウ」に変化したとするのだが、それは自然に起こったのではなく、古代に強制か自発かは不明だが実施されたものと推察している。そしてそれが大和王権の海人系氏族へ対する言語政策の結果ではないかと推論している。
 実に大胆な推論だが、青島が海人族にとって聖なる地であるとしたら、それを征服し服従させるためには、彼らが信仰する神をすげ替える、あるいは変質させるというのが最も有効と考えられるので、この説も一見なきにしもあらずという思いがする。しかし、海人族が居住したその他の重要な地域に厳然として青島が残っているのはどう説明するのだろう。また大和政権が沖縄に政策を及ぼすというようなことがありえたのだろうか。つづく

【作業日誌 4/29】
ティフトン芝植え付け(1㎡)
P1020829


こんなもんが育つのかなあ?

【今日のじょん】朝から雨風が激しい、れいのおニューのレインコートで散歩に出る。ところが思わない欠陥が現れる。後ろから風に当たるとお尻の部分がめくれあがってしまうのだ。着脱はすこぶる簡単で気に入っているのだが、なにもかもいいことばかりは無いようだ。P1020825


背中隠して尻隠さず

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