2014.5.7(水)快晴 穴虫考(54)は2014.5.1
「南島の地名」第6集の中の「青」と「オウ(オー)」の地名学という目崎茂和氏の論文は結局仲松弥秀氏を越えることは無かった。ただ、提起された問題点は「奥武」の真実に迫る核心的なものであると思うし、論文の中で示された参考文献はわたしにとっても未知のものが有り、大変参考になりそうだ。手に入れようのない論文もあるが、できうる限り目を通して「奥武」の真実に迫りたい。
本題の「奥武は葬地か」という課題について現在のところのわたしの見解を述べてこの項を一旦終了したい。
奥武は葬地である場合が多いが、必ずしもそうでない場合もあり、葬地というより聖地と考える。葬地と聖地は現代人の思考からすると一見矛盾するように思われるが、かつての沖縄(沖縄に限らないが)の人々の他界観からするとそれは矛盾するものではない。
久高島では人は東からやってきて西に去るとか、、。
東海岸イシキ浜(左) 西海岸の墓地、墓は西を向いている(右)(2007.2.28)
ニライカナイの考え方では、人は海の彼方のニライカナイから来て現世で誕生し、やがて死んでニライカナイに帰って行く。「奥武島」はこの世とあの世の中継点のようなもので、死んだ人をその地に運んだのだろう。また、アブシバレイの際に害虫を封じ込めたのも事実であり、多くの例を見る。今帰仁村の仲尾次ではアブシバレーの日、奥武島に害虫を送るほか、村のそこそこに置かれている「報恩箱」(割れガラスなどを入れるゴミ箱)のガラまでも奥武島に埋めたという。(島々清しや)
谷川健一氏は「常世論」の中でこのことをうまく書いておられる。
常世は日本人の原郷であるがゆえに、善きもの悪しきものすべて常世からもたらされるというのが、日本人の伝統的な観念であった。恐ろしい伝染病から鼠や蝗や蚤のような害をする動物でさえ常世からやってきたと信じられた。そこで疫病が流行したり、害虫に見舞われたりすると、それらを常世に送り返す儀式がくりかえしおこなわれた。つづく
【作業日誌 5/7】
ミニトマト植え付け
【今日のじょん】ゴールデンウイークは好天に恵まれ、半分近く田植えが終わっている。どんなに時代が進んでも、災害や悪天の被害を防ぐことは出来ない。立派なお米になるまで、何事も無く育ってくよと祈る思いである。じょんだって上林のコシヒカリ食ってんだから。