2014.5.27(火)晴 考察-4
4.マキノ町の青地名について
マキノ町の製鉄遺跡は古代史の中でも重要な意味を持ち、牧野周辺の無数の古墳群は製鉄に関わった渡来系の工人に関わる墓とも目されている。わたしが訪れた製鉄炉の遺跡は奈良時代のものと書かれていたが、それ以前から若狭湾敦賀方面から海人の文化が流入していたと考えられる。もちろんその中には製鉄の技術もあっただろうし、だからこそ8世紀に鉄の文化が花開いたのだろう。葬地としての青の文化はそういった人たちが、日本海沿岸に伝えてきたものだと思う。青地名が必ずあるだろうと調べてみたら、マキノ町に3ヶ所見られた。
牧野 野畑(青谷)
上開田 青谷
森西 青地山
粟、大なども沢山あるが多数になるので省略した。この内、訪問できそうなのは上開田(かみかいで)ぐらいかと思っていたら、奥野さんに連れて行ってもらえることになり、地元の方にその位置も教えてもらえることになった。
ただし時間的制約があり、谷に入ることも聞き取りも出来なかった。
社殿の前を登っている谷が青谷
石庭在住の野崎さんという方が調査された石庭山図の写しをいただいた。マキノスキー場の上方の大谷山(813m)から南に連なる山々とその麓の地名を調べられたものだ。麓の地区は牧野、石庭、辻、森西にあたるのだろうか。実はこの山麓地帯こそ、小さな円墳主体の古墳群なのである。
石庭山図(写)
野畑の青谷の位置もわかり、青谷溜池というのもある。この地域が牧野西遺跡となるのだろうか、大規模な古墳群であるらしい。
山裾を南に進むと墓の谷、庚申塚、杜若谷、堂ノ谷、経塚、ムクロウジとなんともそれらしい地名が続き、その中にわたしたちが訪ねた古墳の地に作られた古い墓地もある。その地がなんという地名なのか問い合わせ中である。少なくともこの地域の青谷は葬地、墓地と考えてもいいのではないだろうか。
植林の中に4,5mの円墳がつづく、古墳の石材と五輪塔、地蔵が散乱している。
【作業日誌 5/27】
草刈り(1-4,2-1)、溝掃除
この斜面だけで3時間はかかるぞ。
【今日のじょん】最近は夜中に動物が出てこなくなって、吠えることが無くなってきたが、時々吠えることがある。よーく耳を澄ませると、蛙の鳴き声のことがある。そうそこいら中にモリアオガエルの卵が産み付けられてるのだ。