2014.5.19(月)晴
短時間の内にわたしが奥野さんに何を話したかよく憶えていないのだが、穴虫という墓地葬地を探求に来たのだということを理解されていたらしい。
「姥捨ての地があるので案内しましょう、そこには地蔵が累々としており、歳老いた人がひとつずつ地蔵を抱いてあの地に死にに行ったのです。やはり貧しい処だったのでしょう」また、その地は凄く霊気のあふれる処だとも聞かされた。
八年前の十月、夕刻のデンデラ野(遠野市)を訪ねた。蓮台野が語源となっているという一種の姥捨てなのだが、誰も居ないデンデラ野に立って夕暮れの野焼きの煙りにあたっても霊気など感じることも無かった。デンデラ野は葬地、墓地ではあるけれども、60才になったらその地に行って共同生活をするという、一種生きるための制度でもあるわけで、わたしは実際に存在した制度なのではないかと思っている。
軽トラで牧野の山裾をさまよったあげく、遂にその地に着いた。一面の植林された中に、大きな五輪塔がたっている。周囲は限りなく円墳の丘が続き、そこら中に白い石が転がっている。近づいてみると無数の五輪塔や地蔵が苔むして横たわっている。
「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)に載っている韓国の現代の墓の写真を思い出す。円墳というのは朝鮮半島に由来するのだろう。宿の女将さんは韓国人なので昼間の写真を見せると、即座に「これはお墓だわ」とおっしゃっていた。また韓国語で墓をどう言うか聞いてみたら「ミョウ、サンソー」と言うそうだ。墓地はミョジというが、亀岡市河原林町穴虫の北に妙珍原という妙な名前の地があり、川沿いの森になっている。ひょっとしたら墓地を表す地名かも知れない。
朽ちた地蔵などの中に道祖神らしきものを見つける。風化が進んでいるが二体の地蔵が列んでおり、信州などでよく見る道祖神と思われる。近畿では珍しいように思うのだが如何だろう。
また円墳上に散らばっているのは花崗岩質の人の手が加わった石材で、おそらく円墳の石室の一部だろう。盗掘してもさしたるものは出てこないと思うが、残っているのは小ぶりの石ばかりなので、後世に城の建造や築堤などの工事に大ぶりのものが使われたのではないだろうか。
いずれにしてもこの地は、牧野の製鉄などに携わった渡来人が古里の例にならって円墳の墓地を造り、その後も墓地として使用されたものだろう。
この地の地名が気になるが、明確な答えが得られなかった、今後の課題である。つづく
【作業日誌 5/19】
三度豆植え付け、ゴーヤ植え付け準備
【今日のじょん】少し良くなってきたみたいなので、念道橋まで散歩に行く。食欲だけはいつも通りなので早く運動できるようにしないとやばそう。
川面に巨大ウナギ発見、シャッター時には潜り始めたので、よく見ないと解らない。