なだめるじいやに強気に「いや、明日、行ってくるけん!」
JRの時間表と、パソコンで検索した地図を必死でたしかめた・・・
しかし、はじめて行く直方への道程は、とてもわかり難くくて見知らぬ街で
一軒の家を探すことは困難なものだった。
あきらめて、直接に電話をしてみようと決心した。
プッシュホンの手が震えてかけなおすこと数回、呼び出し音がなり
ドキドキと心臓の音がたかまる。
「母がお世話になっていました・・・」電話の声は、娘さんだった。
事故ではなかった。
この春3月に、スイミング教室で水泳中に脳出血でたおれて
帰らぬ人になられたと・・・まだ63才という若さで。
知らぬが仏とは、このことか・・・
ひさしぶりに逢えるかと思い、喜々として出していた葉書を
一度も手にすることも、読むこともなく、すでにこの世の人ではなかった
Uさんだった。
「新年のご挨拶を、控えさせていただきます」との挨拶状には
「季節ごとのお便りを、ありがとうございました」との添え書きもあり、
Uさんご家族の温かさを感じると共に、いっそうのさみしさを募らせた。(合掌)
もう泣きません
歌のように、風となり星となり
いつもあの大空から、見つめてありましょうから・・・
暗く重い記事にも、多くの皆様方からお付き合いをいただきました。
ありがとうございます。
今、このように書き留めることができるほどに
いつものわたしに戻りました。
所詮天然の私です。
明日から、いつもの杏子で参りますので 。
日にちが薬とは、よくいったものですね。
残されたものの生き方を、見つめてあると思うと
元気をださねばすまない気持ちになります。
さっそく見てまいりましたが、いちだんとすばらしいものができましたね。色を乗せられて秋の風情たっぷり。
一貫貼りの完成品たのしみです
杏子さんが まえに たのしんでいらっしゃった 柿の葉の墨汁版画
わたしも やってみましたよ。
2~3日は、パソコンにも気が進まなくて、ガクンときていました。
56才で逝った妹にも、10年の年月が流れました。
年の順という訳にはいかないものですね。
涙のあとには、秋の空が大きくひろがっていました。
また、どうぞよろしくお願いします。
京都旅行と言っても、主人の従弟の墓参が目的でした。
私も2年前に一番の友人に逝かれて、しばらくは立ち直れない状態でした。
でも、空を見上げる度に、雲の形が友人の姿に見えて、見つめられているような気分になりました。
それから、月命日にお墓参りをし、お墓の前で話しかけて来ます。
みなさまのはげましで、元気になれましたよ。
今日もこうして、パソコンが出来る幸せを
決して当たり前だとは思わないで、生かされていることに感謝の気持ちを忘れないようにします。
体調管理はていねいにがんばりますね。
どうぞご利用くださいね。
人間わからないもので、決して年齢では計り知れないこともあるのですね。
亡き父もおなじように脳出血で急逝しました。51才でした・・・。
初孫といっしょに過ごした期間は、たったの10ヶ月・・・
わたしは幸いに、父の年齢も元気に通りすぎて
4人の孫にも恵まれました。こんどは亡き母の97才が目標ですが、まだ20年以上もあります
いまも、Uさんの電話番号が携帯電話に残っています。
プッシュしたら、Uさんが「は~い!」と言ってくれるような気がして・・・
Uさんの分もよくばって、
杏子さんが、健康で生活されていくことを天国から見守ってくださると思います。
お力落としでしょうが、元気を出してください。
残念ですね。 杏子さんの胸中 お察しします。
キミコさんが言われるように その方の分まで杏子さんが
長生きなさってください。それがご供養になると思います。
Uさんのご冥福をお祈り申し上げます^^
ちゃんとお宅までお悔やみに行かれた事さすが杏子さん
って感じがします
積極的な行動よかったと思います
それにしてもUさん私と同い年だったのですね^^;
ちょっとショックです(´・艸・`;)ぁぁぁ
Uさんの分まで杏子さんが生きて楽しんであげてくださいね^^