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御茶ノ水にやってきた。御茶ノ水は高校や浪人時代は毎日のように通ったが、その後はすっかりご無沙汰で、特に橋を渡って昌平黌や神田明神の方向には行ったこともあるが、反対側は久々である。
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JR御茶ノ水口を出ると順天堂や東京医科歯科大学など病院の立派な建物が目に付く。橋の上から聖橋を眺めると川の中に大きな足場が組まれていてあまり眺めが良くない。普段ならさだまさしの『檸檬』の歌にあるような風景が見れるのに。
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駅の横を通り聖橋口方向に進む。この細い一方通行はいつも混んでおり、カロリーを始め懐かしい小さな店が立ち並ぶ。
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本郷通りに突き当たると右折、
目の前にニコライ堂が見えてくる。緑青の色が鮮やかな丸いドームはこの辺りでは数少ない昔からの建物。中央大学も日立の本社、明治大学も皆新しく高いビルになっていく中でこの建物をみると心癒される。ニコライ堂は1891年に竣工した日本正教会の大聖堂で関東大震災で被害を受けたものの、修復され、戦災は乗り越えて現在に至っている。
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御茶ノ水駅は台地の上にあり、坂も多い。聖橋の袂から万世橋方向にあるのが『淡路坂』これは江戸時代に鈴木淡路守の屋敷がそばにあったことが起源。さらに日立の本社跡に作られた高層ビルのソラシティに沿って下る坂が『幽霊坂』。昔は紅梅坂と呼ばれたが、本郷通りの拡幅で分断されたのでそれ以前に使っていた名前を付けたらしい。ちなみに幽霊坂という坂は都内に多いが、この坂も周りに木が茂り薄暗いことからこの名がついた。
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そのまま小川町方向に向かい、駿河台信号を右折すると太田姫稲荷神社がある。この神社はもともと太田道灌の娘が痘瘡になった際にその治癒を祈念し、京都から一口稲荷を分祀したもの。そのかいあってか、娘の病が治り、喜んだ道灌は江戸城内に祀った。しかし、江戸時代に入り、江戸城改築に伴って現在の御茶ノ水駅聖橋口近くに移る。その後、1930年の中央本線拡幅時に今の場所に移されたとのこと。今は周りに高層ビルが立ち並び、見下ろされるように神社が残っている。
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都内中心部、例えば京橋や六本木、大崎など高層ビルの林立で風景が様変わりすることはやむを得ないが、御茶ノ水のニコライ堂や神社、坂のように昔からの歴史が多く残って、またそれを大切にしている街は素晴らしい。