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鉄道シリーズ その14。次の日本一は東西南北の端の駅。(JRに限る)
まず、北端は稚内駅(北海道、宗谷本線)。戦前までは樺太まで航路があり、さらに北に稚内桟橋駅があった。今の稚内駅は1928年に当時稚泊(大泊、現在コルサコフ)航路の待合所に稚内港駅として作られたもので、その後、1938年に桟橋近くに稚内桟橋駅(仮駅)設けたが、太平洋戦争終結の1945年稚泊航路が廃止されたのを機に今の稚内駅が日本最北端の駅になった。当時の駅は北防波堤ドームの手前にあり、ここで乗客は列車を降り、ドームを通り、連絡船に乗った。今もドームは当時のまま残されている。
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なお、戦前は南樺太も日本領であったため、厳密には最北端の駅は南樺太(樺太東線、古屯駅)あった筈である。
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次は東端であるが、東根室駅(北海道、根室本線)。簡単に言うと根室本線を根室に向けて乗り、終点の一つ前の住宅地にある無人駅である1992年根室に行った際にわざわざ下車したが、何の印もなく、感動はなかった。ただ、当時は根室駅には日本最東端のモニュメントがあった。
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南端は西大山駅(鹿児島県、指宿枕崎線)、ここも無人駅だが、モニュメントはあり、開聞岳が美しく見える駅である。隣の山川駅にも有人駅日本最南端というモニュメントがある。終点の枕崎駅には始発駅最南端というモニュメントもあるそうである。
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西端は小生が訪問した頃(1978年)は平戸口駅(長崎県、当時、松浦線)だったが、1986年第3セクター化し、1988年には『たびら平戸口駅』に改名、つまり、今はJRでは無くなってしまった。ちなみに駅名に『たびら』を付けたのは平戸口は平戸ではなく、田平町という隣町ということを主張したからだろう。ただ、結局平成の大合併で2005年に平戸市になってしまったのだが。また、今でも駅前には日本最西端という1962年に作られたモニュメントがある。このブログではJRで考えることにしているので、最西端は佐世保駅ということになるが。
なお、さすがに鉄道ファンを50年近くやっているだけあり、小生は全て降りたことがある。だからどうということもないのだが。