hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

田町駅芝浦口界隈

2013-11-09 00:11:42 | 日記

田町駅芝浦口に降りた。田町駅とは不思議な駅で周辺の地名は芝や三田で田町という地名はいまはない。ではこの名前の由来は何なのか。田町駅は1909年に東海道本線が開通する共に開業、当時このあたりは芝田町と言われていた。これは芝+田町と分解できる。当時の町の名前は大ぐくりな地名(芝、麻布、下谷、日本橋など)と小さな町名で構成され、例えば麻布狸穴町や日本橋蠣殻町という型が多く、芝+田町であったため、駅名は芝は付けず『田町』となった。その後も地名は芝田町は存在したが、町名変更で1964年に一部が芝5丁目、さらに1967年に残りが三田3丁目に編入され、芝田町の名称 は今はない。付け加えると駅が出来た頃は芝浦口はまだ目の前が海で、ようやく1913年に埋め立てが始まった。
そのため、いまでも三田口と芝浦口では風景が異なっており、三田口は東海道が通り、慶応義塾大学がある凹凸のある平野だが、芝浦口は埋め立て地らしく、平らであちらこちらに運河が流れている。学生時代に駅の反対側であるこちら側に来るのは田町ハイレーンでボーリングやビリヤードをする時のみで、当時、人も建物も少なかったが、今は高いオフィスビルやマンションも増加しており、様変わりである。


駅のデッキから降りるとすぐ右手に東工大付属高校がある。ここにはかつて1921年設立の東京高等工芸学校が設立された。工業学校と美術学校の境界領域であるデザイン、工芸の専門学校として京都高等工芸学校(現、京都繊維工芸大学)に次ぐ伝統を持つ。その後東京工業専門学校に改称、戦後は千葉大学工学部に承継されたが、付属高校は1951年に東京工業大学に移管された。そのモニュメントもすぐ前の校庭に立っている。


その先に少し高い橋が見えてくるが、これが新芝橋。下に新芝運河が流れており、両側は遊歩道となっている。風に吹かれながら運河沿いに右手に向かうと藻塩橋が目前に出てくる。


これをくぐり、右手に上がり、道路を歩くと百代橋。新芝浦運河の先には八千代橋がある。一般の川と違い、真っ直ぐでアップダウンがない。この辺りはオフィスビル以外に高層マンションが林立しており、かなり風景も変わったのだろう。秋の午後、潮風を感じながら、歩くのもまたいい。商店街も運河の街としてこの街を売り出そうとしているが、昔と違い変な匂いもなく、コースを作れば楽しめそうである。