hokutoのきまぐれ散歩

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中央本線&中央本線

2014-02-13 06:47:15 | 日記

鉄道シリーズ その42。京浜東北線、山の手線とくれば、つぎは中央線。ヨドバシカメラではないが、『まあるいミドリの山の手線、真ん中通るは中央線~』である。

中央本線は東京から長野県塩尻市を経由して名古屋まで結ぶ鉄道路線で、普段通勤電車として『中央線』と言っているのはそのほんのスタート部分だけである。

中央本線の元々は1889年に甲武鉄道が新宿~立川を開業したものが最初。因みに当時は中野、境(武蔵境)、国分寺しか途中に駅はなかった。その後、翌年に立川~日野、1894年には新宿~牛込、さらに翌年、飯田橋。1904年にお茶の水と伸びていった。

八王子から先は官営鉄道が1901年に八王子~上野原を開業、その後順次伸ばしていき、1903年には甲府まで、さらに1906年には篠ノ井まで延伸された。
そして1906年に甲武鉄道が国有化されることになるのだが、お茶の水から先であるが、1912年に万世橋まで、さらに1919年に東京駅までようやく開業した。因みに西に向かっては名古屋まで開通したのが1911年であるから、東京駅まで乗り入れるより古いことになる。

当時は日本全国に長い各駅停車が結構あった話はかつてこのブログでとりあげたが、『新宿発名古屋行または名古屋発新宿行の中央本線周り直通列車があったのか』が鉄道ファンにとっては気になるところである。調べてみるとはじめはその後貨物駅となった飯田町駅~名古屋間の普通列車701、702列車(その後は名古屋発の場合、途中で塩尻までは813列車→塩尻からは410列車に変更して新宿まで運行)が1938年までは運転されていた。手持ちの1934年12月の時間表で調べると名古屋発5時48分で塩尻着10時35分、甲府着14時24分、新宿着17時50分と約12時間もかかっていた。

戦後も1965年~1974年は『準急きそ』の一部がが新宿~名古屋を直通運転していた記録がある。これは名古屋発長野行の『準急きそ』のうち一部が塩尻で切り離され、列車番号は変わりながらも半荷物客車が新宿まで各駅停車で運転していたものである。

なお、今日は長くなったので『中央線快速』については次回また改めて書くこととしたい。