鉄道シリーズ その47。今回は地下鉄丸ノ内線、1972年のフォークソングに『地下鉄に乗って』(猫)があることはご存知だろうか。このグループには吉田拓郎が曲を提供しており、作詞は岡本まさみ。その中に『いま赤坂見附をすぎたばかり、まだ新宿まではまだまだ~あさぁ』という一節がある。
小生はものごころがついた時には荻窪からバスで15分ぐらいの下井草というまだ畑や田んぼの残る辺りに住んでいた。そのため、都会には西武新宿線で新宿に出るか、バスで荻窪に行き、この地下鉄丸ノ内線に乗ることが多かったが、荻窪から銀座などに出るにはかなり時間がかかり、車窓からも何も見えず、先ほどの歌ではないが、飽き飽きしたことを思い出す。(ちなみに今も30分かかる)
当時地下鉄荻窪線と言われた荻窪~新宿はほぼ青梅街道に沿って走っており、都電、買収前は西武が経営する路面電車が走っていたが、1962年に地下鉄が完成すると程なく1963年12月に14系統都電杉並線は廃止された。この軌道は買収の経緯から少し狭く、やや小振りの電車が走っていた。
一方、地下鉄丸ノ内線は日本で4番目、東京では銀座線に次ぐ古い地下鉄で1954年に池袋~御茶ノ水、1957年に銀座(当時、西銀座)、1959年に新宿、1961年に新中野、1962年1月に荻窪、さらに1962年3月に方南町(方南支線)が完成、今の丸ノ内線は全通した。古いこともあり、銀座線と丸ノ内線は第三軌道方式である。
一つ不思議なのはその方南支線で中野坂上~方南町は折り返し運転をしているが、本線から入って来るのは方南町の一つ手前の中野富士見町止まりであること。これは方南町のホームが少し短く、6両編成の車両が入れないのが原因らしい。ただ、これは2017年度には方南町駅ホームを延長することにより、解消する方向で検討が進められている。