hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

都電の思い出

2014-02-19 06:46:06 | 日記

鉄道シリーズ その44。都電にはかなり思い入れがある。文京区大塚に引っ越したのは昭和45年、小生が小学6年の時、ちょうど万国博が大阪で開かれた年である。もともと郊外に暮らしていたため、たまに新宿や渋谷に出た際には都電の姿は見たが、乗ったことなどあまりなかった。

それが家から5分の所には『音羽2丁目』の電停、これには20系統が走っていた。江戸川橋から上富士前、上野広小路などを経由して須田町まで。一方、春日通りまで10分歩くと『大塚2丁目』の電停、ここには16系統、大塚駅前~文京区役所~上野広小路~厩橋~錦糸町駅前が走っていた。当時珍しく、さらに他の系統にも乗り歩いた。例えば13系統、新宿駅前~水天宮前、新宿の専用軌道が懐かしい。

その中で今も残る32系統、現在の荒川線は早稲田~王子駅前~荒川車庫は友人の東池袋の下宿のそばでよく乗ったし、踏切も歩いた。一つずつ路線が廃止になる中でまさかこれだけは残るとは。

この路線は1913年に三ノ輪橋~飛鳥山下まで王子電気鉄道が開業したのが起源、これが徐々に延びて1932年に全通、当時は王子駅前~赤羽までの路線もあった。その後、1942年に東京市に事業譲渡し、その後、東京市が東京都となったため、晴れて都電となった。この路線の特色は王子電気鉄道という私鉄が作ったため、専用軌道が多く、それが残された理由らしい。元々は先に述べた32系統と27系統(三ノ輪橋~熊ノ前~王子駅前~赤羽)のうち王子駅前~赤羽を廃止し、一本化したものである。

それにしても、今もすっかり変わった大塚駅前、桜がよく似合う飛鳥山の坂、珍しく真っ直ぐな学習院下、様々なところで都電に出会うと堪らなく懐かしい思いがする。