hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

大磯を散策(2)〜旧吉田茂邸を訪れる

2019-06-06 05:00:29 | 日記

山王町から二宮駅北口行きの神奈中バスに乗車する。少し走ると何とまた松並木、ここにもあるのだ。バス停5つほど先の城山公園(じょうざんこうえん)で下車すると右手にはこんもり里山。これが城山公園であるが、まずは反対にある旧吉田茂邸に足を向ける。

吉田茂は戦後日本の建て直し、特に講和条約締結に腐心した宰相である。吉田茂の父親が建てたもので今は海との間に西湘バイパスが走るがかつては海岸沿いにあった。

内門は兜門、また講和条約締結を記念に建てたため「講和条約門」とも呼ばれている。

邸の中に入ると右側には庭園、さらに築山や池があり、左手の小高いところに住居がある。実は平成21年に焼失し、大磯町が建て直したものでそのため新しい。


ただし、左手にあるサンルームは焼失を免れたため、吉田茂存命の時と同じ風貌を残している。寒がりな吉田茂は冬はここで客と面談したというエピソードもある。


邸の前を左手に行くと広々とした敷地が広がるが、さらに海側に向かうと銅像が建っている。羽織袴姿で杖を持ち、穏やかな表情。その少し先には小さな墓標、ポチの墓とあった。吉田の愛犬の墓だろうか。

その先、右手に降りていくと七賢堂、元は伊藤博文の邸宅であった滄浪閣にあった明治維新の元勲4人(三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通)を祀っていた四賢堂を昭和35年に移したもの。その後、伊藤博文、西園寺公望、吉田の死後に吉田自身も合祀して七賢堂となった。

その先の池を越えると入口に戻るが広大な邸宅であり、現在も訪れる人が多い。(以下、次回)