『東京の坂、日本の坂』その114。菅刈公園の池を見た後、西郷山公園に向かう。この2つの公園は近接はしているが途中かなりの坂道を登らされる。
坂道を登り、一般道に出てまた坂を登り、ようやく西郷山公園に入る。真ん中が高くなっていて、小高い所からは富士山も見れると書いてはあるが、残念ながら曇っていて見ることは叶わなかった。
旧山手通りに出て右に行くとすぐ西郷橋がある。ただ、下は道路があるのみだが。
少し歩くと左側に都立一商、エジプト大使館の手前を右に降りて行く坂道が上村(かみむら)坂である。長くてうねる細い坂だが、車の通行は多い。ようやく橋の案内板を探し当てる。
坂の名前は海軍大将上村彦之丞の家が坂の頂上にあったことによる、とある。
坂を降りて左に曲がり、次の信号を左に行く。先程降りた分を登ることになるが、この坂道が目切坂。名前の由来は坂の下に石臼の目切をする腕の良い職人が住んでいたことであった。
坂は勾配もきつく、また長い。おばあさんが何回も休みながら登っていた。坂の上にはお地蔵さん。説明板があり、昔の街道沿いにはお地蔵さんがあって道しるべの役割を果たしていたとか。この地蔵様の台座にも『右、大山道、南無阿弥陀仏、左、祐天寺道』と刻まれていた。
振り向くと立派な門があり、『旧朝倉家住宅』という看板を発見。朝倉家住宅とは大正8年に東京府会議長を務めた朝倉虎次郎が建てた邸宅で重要文化財として保存されているのである。入口で100円支払い入館して見る。立派な2階建の住宅でとにかく広い。
まず、左側に車庫、大正8年の創建と同時に作られたもの。さらに屋敷の中も立派な調度が備えられ、違い棚も美しい。崖線を巧みに利用した庭も広々と見え、威風堂々とした屋敷であった。
その後、中央競馬会の前身が買受け、戦後は農林大臣公邸として利用したのち、経済安定本部が使い、渋谷会議所と呼ばれた時期もある。
その後、渋谷区の管理となり、2004年に国の重要文化財の指定を受けている。西郷山公園、朝倉家住宅と歴史の1ページを飾るような施設も残る坂巡りとなった。