時期的に『赤トンボ』はもうかなり遅いが、この歌を作詞した三木露風は三鷹市に縁がある。いつも買い物に立ち寄るスーパーのすぐそばに彼の墓がある。
三木露風は1889年に現在の兵庫県たつの市に生まれた。かつてよく仕事で姫新線本竜野駅によく行ったが、そこには赤トンボの歌碑がある。その後鈴木三重吉の赤い鳥運動に参画したり、北海道の修道院で英語教師をした後、1928年に三鷹市牟礼に居を構え、亡くなるまで暮らしたのである。
そのため、大盛寺別院に彼の墓がある。亡くなったのは1964年12月だが、郵便局から出てきたところをタクシーにはねられ、それが原因で亡くなった。
その墓にお参りし、スーパーに戻る途中には赤とんぼ公園と名付けられた小さな児童公園がある。入口の案内板には歌詞も刻まれている。
ふと見上げるとドウダンやもみじが赤く、また、コナラが黄色く葉が色づき、見事な景色となっている。
いつも近くを通る公園もじっくり歩いてみると違う風景が見えて来る。そう言えば赤トンボの歌詞を改めて読むと『夕焼け小焼けの赤トンボ、負われて見たのはいつの日か』の負われては本人だが、では誰に負われていたのだろうかが以前から気になっていた。
ここで改めて歌詞を読むと3番に『十五で姐やは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた。』とある。つまり、姐やさんにおんぶされて見た風景なのであろう。その郷愁を歌にしたのだろうか。
晴れた秋の公園を歩きながらふとそんなことを考えた。