『都会の小さな町散歩』その8。前回に続き番町を歩く。今回は三番町からである。一番町から大妻通りをまっすぐ行くと大妻学園のビルが並んでいる番町学園通りと交差するが、ここからが三番町。大妻学園の建物は新しく綺麗で近代的である。右に曲がり、坂道を降りていき、内堀通りを越えると千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、ここも三番町である。
学園通りを左に曲がると閑静な地区に出る。右手には最近来日されたローマ法王がトップを務めるローマ法王庁大使館がある。入口にある表札がなければ大きな木が生茂る大きなお屋敷といった感じである。
四番町との境を右に曲がると九段小学校。
また、東郷公園が隣接している。東郷公園は明治の英雄東郷平八郎旧宅跡で現在は半分程度が工事中。この公園内に三番町の案内板がある。
少し戻り、四番町に入って行く。町の中央の道に沿って歩くと千代田女学園がある。この通りも静かな通りでマンションが立ち並ぶが、その中に『島田三郎、島田孝一旧宅跡』の案内板がある。
島田三郎は明治時代の政治家で、東京横浜毎日新聞の社長を経て衆議院議員に当選、議長も務め、廃娼運動や足尾鉱毒事件などにも積極的に参加した。島田孝一は長男で交通経済学者、早稲田大学総長、流経大初代学長を務めている。
そのまままっすぐ行くと旧上智大学市ケ谷校舎があったが、今年9月に廃止され、現在校舎の取り壊し中である。
その先の日テレ通りを左に曲がるが、その名前の通り、汐留に日本テレビが移転するまではお隣の二番町に本社があり、四番町にもスタジオ機能を持ついくつかのビルを保有している。
四番町の案内板は日テレ通りにあり、先ほどの島田三郎の他に内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻などが住んだことが記されている。なぜかNo4と書いたカフェ、お洒落である。(以下、次回)