hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『街の案内板を巡る』〜神田駅→日本橋①

2019-12-15 05:00:00 | 日記


『街の案内板を巡る』その4。今回は神田駅から中央通りを日本橋に向かう。まず最初に出てくるのは『今川橋』の案内板。今川橋の交差点近く道路沿いにある。




今川橋はかつて龍閑川(神田堀)に架けられていた橋であり、日本橋と神田の境界で日本橋から中山道に通じる重要な橋であった。しかし、1950年に埋め立てられ、廃橋となったものである。今も細い道が上を通るがこの道が千代田区と中央区の区界にもなっている。


中央区に入ってすぐの通りに『本銀通り(ほんしろがね)』の案内板がある。本石町周辺は銀細工職人が集住していて神田の新銀町と区別するために本銀町と呼ばれていた。銀職人と言っても刀脇差細工、縫箔屋、指物師、仏具師など様々な職種があったようである。



みずほ銀行日本橋支店の向かい辺りに『時の鐘』跡がある。この鐘は前回小伝馬町の回にも出てきたが、元はここ日本橋石町にあった。ここから現在の鐘がある十思公園までの通りを時の鐘通りと読んでいる。


すぐ隣にも『夜半亭〜与謝蕪村居住地』の案内板がある。ここには俳諧師・早野巴人が1737年に結んだ庵があり、『夜半ノ鐘声客船ニイタル』という漢詩にちなみ夜半亭と名付けられた。この庵には巴人の内弟子であった若き与謝蕪村が居住していたが、その後1742年に巴人が亡くなると共に夜半亭は解散、蕪村は江戸を離れて旅に出て、最終的には京都を永住の地としたのである。(以下、次回)