hokutoのきまぐれ散歩

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武蔵野競技場線跡を歩く①〜三鷹逍遥③

2023-12-17 05:00:00 | 鉄道
『三鷹逍遥』③、次の目的地は武蔵野グリーンパーク球場跡である。あまり知る人はいないのだが、戦後すぐ1951年の1年間だけプロ野球に使用された球場が三鷹駅から2kmほど北に向かったところにあった。

(昭和31年11月号)

球場だけでは無く、三鷹駅から武蔵野競技場前駅まで3.2kmの専用線(中央線支線扱い)で結ばれ、開業時には20分おきに単線を電車が走っていた。さらに競技終了後は東京駅行直行電車も運転されたようである。

当時の記録を見ると東京六大学の春リーグ戦は神宮球場が連合国に接収されていたことからこの球場で始まり、5月5日国鉄スワローズvs名古屋ドラゴンズ、讀賣ジャイアンツvs名古屋ドラゴンズの変則ダブルヘッダーをプロ野球初めての試合として開催する。しかし、まだフランチャイズ制はなく、16試合行われただけだった。

というのは①この時代には三鷹市(当時は北多摩郡三鷹町)はまだまだ田舎で東京東部の下町からはかなり遠かったこと、②風が吹くと土埃が舞う風土が野球ファンに好まれなかったこと、③1952年以降は神宮球場、川崎球場、駒沢球場の接収も解除されてしまい、グリーンパーク球場の存在意義がなくなってしまう。結局、翌年はプロ野球には使われることはなかった。つまり、実稼働は1年、武蔵野競技場線も1952年からは列車の運行は無くなり、1959年に正式に廃止されてしまった。



ただ、路線の跡は今も遊歩道として残っている。跨線橋を降りて武蔵境方面に歩くと団地が見えてくる。



この辺りにはまだ、畑が点在しているがその横を通ると『堀合(ほりあわい)児童公園』が出てくるので中に入ると団地に沿って細い遊歩道が続く。



堀合遊歩道こそが路線跡で弧を描きながら右に曲がって行く。周囲の木もかなり大きくなっていて、鉄路が廃止されて67年になることを物語る。



コミニュティバスの堀合遊歩道のバス停を越えさらに路線跡は続く。少し車の音が聞こえ、左側を見ると新武蔵境通りがすぐ横にある。


合流して少し行くと右手には私がいつも酒を買いに行く宮田酒店、その先の『銀杏橋(ぎんなんばし)』で玉川上水を越える。(以下、次回)