hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

武蔵野競技場線跡を歩く②〜三鷹逍遥④

2023-12-23 05:00:00 | 鉄道
『三鷹逍遥』④。『銀杏橋』で玉川上水を越える。この橋の中央にはレールが埋め込まれていてかつて鉄路だったことを彷彿させる。銀杏橋を渡って右側に『中島飛行機武蔵製作所 引込線橋台跡』とある。戦前はこの北側に中島飛行機武蔵製作所があり、主に飛行機のエンジンを作っていた。



戦闘機の増産のため、昭和13年〜20年の間に武蔵境駅から工場までの引込線が作られ、ここに橋台があった。当時はアメリカによる激しい空襲を何度も受けた。

一時は武蔵野競技場線として復活したが、その後廃線となり、これより南側は堀合遊歩道、北側はグリーンパーク遊歩道となったが、2012年に橋台の上に銀杏橋が作られた。



グリーンパーク遊歩道と名を変え、ほぼ武蔵境通りと並行して北に向かうが、途中合流。井の頭通りとの交差点となり、左側には浄水場が現れる。



少し行くと遊歩道は右に曲がりながら進む。右側に池があったり、農地が見えたり。日はだいぶ傾き、薄暗くなってくる。



五日市街道を越えたあたりに『関前高射砲陣地跡』の看板がある。これは中島飛行機工場に空襲が頻発したため、対抗するために6門の高射砲を設置した。しかし、アメリカのB29戦闘機は1万メートルの高度から爆弾を落としていたため、この高射砲では届かなかったと思われる。逆に高射砲を狙った1トン爆弾による空襲のため、周辺地域は被害を受けた。

関前公園の中に入るが、道はさらに続く。途中で二又に分かれるが、これは左に行くと工場の引込線だったものを武蔵野競技場線に転用する際にここから線路を引き直し、右手に緩くカーブしながら競技場を目指したのである。



急に前が開け、車道が出てくる。これを越えると武蔵野中央公園入口となる。武蔵野競技場線はこの道路を右に曲がり、駅があったものと思われる。



しかし、既に日が落ちてしまったので今回はここで終了。武蔵野中央公園は中島飛行機の工場跡だが、とにかく広い。また、東京グリーンパーク球場の跡は住宅公団に売却され、今は団地となっている。



公園に入ると公園の歴史の説明板がある。それによると戦争で空襲を何度受け、灰燼と化した。アメリカ軍が接収し、昭和26年にグリーンパークと名付けられた宿舎ができたが、地元住民による返還運動が実を結び昭和53年に暫定開業している。



夕暮れ迫る公園にはまだ多数の子供達がいて遊んでいた。正面口まで歩き、三鷹駅までバスで戻った。