『東京の坂、日本の坂』その198。都道250号となった羽村大橋は1974年に完成、羽村市とあきる野市を結ぶ幹線となっているが、それまでは折立の渡しがその役割を担っていた。
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江里坂に登らず、手前の道を左方向に行く。右手にはハウス栽培をする農家が並んでいて今収穫に忙しい時期のようである。何を作っているのかを覗くとお母さんと小さな子供が一生懸命に大根をビニール紐で10本ほど結んで干している。沢庵漬にでもするのか、その数は数えきれないほど。子供も大根を運んでいた。
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左に曲がる道が出てくる。小型自動車1台がやっと通れるほどの崖下の道で左側は石垣と竹林が道を薄暗くしている。右側は大きく開け、崖下には住宅があり、さらに羽村大橋が豪快に見える。この下り坂が『折立坂』、折立集落からその名前が付いたものである。
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ここで元の道に戻るか悩んだが、道があるだろうと真っ直ぐ進む。すると農地の真ん中に出て、道がどっちに向いているのかすら分からなくなる。それでも軽トラが止まっているため、羽村大橋を目指して歩く。橋の上から階段があるのは分かるがその下にどのようにしたら行けるのか、つまり道がない。橋の下を少し行くと左にユンボが止めてあり、その先に落ち葉も積もっている細い道を発見、これを辿りなんとか階段に到着。登ると江里坂下に出た。
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羽村大橋には川下側に歩道が整備されていて橋の長さは547.29mあり、とにかく長い。しかし、不思議なものでこの橋より上流の多摩川は幅が広いが、橋を通過すると一気に川幅が短くなる。
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(羽村大橋より上流を臨む)
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(羽村大橋より下流の様子)
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(羽村大橋より下流の様子)
次の目標は玉川上水なのだが、どこで橋から降りたら良いのか悩んで途中下に降りた。左に曲がり、少し歩くと左手に橋が現れた。(以下、『玉川上水に沿って歩く』に続く。)