『宿場町を歩く』その5。越ヶ谷宿①、今回は江戸を出て日光道中3番目の宿場越ヶ谷宿を歩く。東武日光線で30分、越谷駅に到着、ここからスタートする。前回の粕壁宿も春日部駅と駅名と宿場名の表記が異なっているが、越ヶ谷も駅名は越谷とケがない。
越ヶ谷の名前の由来は『越=腰の谷』、「こし」は山地や丘陵の麓付近という意味でこれに低地である谷を加え、『大宮台地の麓にある低地』という意味である。ケのある無しは1954年の町村合併で越谷町が成立した際に合併前の越ヶ谷町と区別するため、ケを取った。つまり、駅名の北越谷・南越谷・新越谷などは1954年以降、越ヶ谷小学校は1954年以前ということになる。また、町の中心部には『越谷市越ヶ谷』という地名が残る。
越谷駅を降りて、観光案内所がまだ開いていないため、街歩きをスタートする。駅前通りを少し行くと旧日光街道、さらにその先には県道47号線が並行して走る。旧日光街道を右折して歩くと人形を商う店が数店、あとは銀行や小規模な町工場など特徴はない。
先程の県道と交差する中央分離帯に『表程里』がひっそりと立っている。それによると『雷門五里二十粁、浦和三里半十四粁・・』などと書いてある。
さらに旧街道を戻ると右手に『不動尊道しるべ』を発見、寛保元年(1741年)造立とある。石塔の上には不動明王像、下が道標で「是よ里大さかミ道」と彫ってあるらしいが、こちらが越ヶ谷宿の起点を示している。
きた道を戻り、駅前通りの交差点の先には植木人形店、お隣は金春人形店と並んでいる。植木人形店の看板には羽子板・破魔矢・ひな人形・よろい・かぶと・鯉のぼり・日本人形・西洋人形と品揃えはかなり幅広い。
ほぼ向かいには『水田家』、昭和初期の木造二階建てであり、元は漆喰の材料となる布糊の問屋、その後文具屋であった。
角を左に曲がると『新町八幡神社』の鳥居が見えてくるが、手前は歓楽街でスナックが並んでいる。夜、幾つネオンが点くかはわからないが狭い路地、そして神社というのは中々のロケーションである。
旧街道まで出て左に曲がる。次の道を左に曲がると神山材木店。今も現役だが、こちらもかなり古い建物である。(以下、次回)