『創業の地を歩く』その5。『蘭学事始の碑』からまっすぐ歩き、広い通りを左に曲がると聖路加ガーデンに至る。この前の植え込みの中にあるのが『ヘンリー・フィールズ住居跡』の石碑である。
英国人医師ヘンリー・フィールズは1874年〜1886年の間この地に住み、築地病院(現在の聖路加国際病院)の建設に関わったのであるが、この功績とは別に日本人の指印の習慣に興味を持ち、これを科学雑誌ネイチャーに投稿した論文が科学的指紋法の世界初の研究とされている。日本警察で指紋法を採用して50周年を記念してこの石碑を建立した。
この道沿いには学校の発祥の地が並んでいる。『明治学院発祥の地』、明治学院は1877年に旧居留地17番地に東京一致神学校として設立されたものである。
『女子聖学院発祥の地』、1905年アメリカの女性宣教師バーサ・クローソンによりこの地に女子聖学院神学部として設立された。
『青山学院記念の地』、1877年にドーラ・スクーンメーカーにより設立された海岸女学校がその起源の一つとされている。
さらに少し築地駅に戻り、明石小学校の前には『築地外国人居留地跡』の碑と当時の赤煉瓦の遺構、明治末期の仕様のガス灯の柱が残されている。
その斜め前には『築地カソリック教会』、聖堂は1923年の関東大震災で焼失してしまったため、1927年に再建されたものだが、旧聖堂にあった銅のフランス製の鐘は1876年製であり、入り口横に今も残されている。
また、『暁星学園発祥の地』の石碑もある。マリア会の神父アルフォンス・ヘンリックが小規模な学校を1888年に設立したものである。
少し歩くと明石小学校の隣地に『東京中学校発祥の地』がある。これは今の関東学院の元となった学校であり、1895年に旧居留地42、43番にアメリカ・ハブテスト伝導教会により作られた。
その隣には『雙葉学園創業の地』、こちらは1909年のことである。
少し戻って築地駅を目指すと一番最初に見つからなかった『芥川龍之介生誕の地』の案内板、移されていた。
芥川龍之介は1883年に当時この辺りにあった『耕牧社』という牧場に生まれた。今では牧場がここにあったことすら信じられないが。ただ、ここにいたのは生後7ヶ月までで養父(母親の長兄)に引き取られたのである。
今回学校だけでも女子学院、立教、立教女学院、慶應義塾、明治学院、女子聖学院、青山学院、暁星、関東学院、雙葉と10校ある。よくこれだけの学校の礎が築地居留地に作られたと思うが、慶應義塾以外は全てミッション系の学校なのである。