『東京の坂、日本の坂』その204。麻布十番付近の坂⑥、一本松坂の麓に立って気がついた。今まで上ってきたのが大黒坂、この頂上にたち振り返ると五叉路となっていて今まで登ったのが『大黒坂』(青方向)、隣が『暗闇坂』(緑方向)、『狸坂』(黄色方向)、『一本松坂』(赤方向)と全て名前のついた坂道となっている。
赤方向に進むと急な下り坂となり、この坂が『狸坂』。由来は説明板によると『人をばかす狸が出没した』とのこと。旭坂の別名もある。
この付近には中々素敵な洋館がある。うち一軒のステンドグラスを思わず眺めてしまった。
再び戻って緑方向に進むと左に弧を描く急坂となるが、これが『暗闇坂』である。坂を下って行くと右側にオーストリア大使館が現れ、この辺りから坂はまっすぐとなる。
樹木が暗いほど生い茂った坂であったためついた名前のようで、別名が宮村坂。これは旧町名の麻布宮村町からきている。
暗闇坂を降りて右手に歩いて行くとパティオが現れる。ここに小さな女の子の像がある。この像には悲しいお話が残されている。誰でも知っている童謡『赤い靴』、野口雨情作詞のものだが、背景には岩崎きみという女の子の実話がある。
きみちゃんは明治35年生まれでお母さんのかよさんに連れられ北海道へ。お母さんは開拓農場に入植するが、あまりに厳しい環境からアメリカ人宣教師の養女とする。この逸話を雨情は夫である鈴木志郎に聴き、この歌詞を作った。
しかし、実際はきみちゃんはアメリカには行かなかった。きみちゃんは不幸にも結核にかかり、宣教師が帰国する際に連れて行けず、麻布にあった孤児院で寂しく9歳で亡くなったのである。このエピソードを知り、1989年にきみちゃん像が作られたのである。
私は思わずこの女の子の像に手を合わせてわずかなお金を募金したのである。