hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

灯り家〜日本橋ランチグルメ

2017-02-08 05:00:52 | グルメ

日本橋で親子丼と言うとするすぐ玉ひでを連想するが、これは鶏が軍鶏肉、先日COREDOでお邪魔した『鶏三和』は名古屋コーチン、しかし、今日は比内地鶏の親子丼を食べに行く。どの鶏肉が美味いのかわかるほどグルメではないが、あまり、私は列に並んでまで食べることはしない。

今日の店は事務所から5分ほど歩いたオフィス街にあり、夜は焼き鳥屋として営業中。店の名前は『灯り屋 日本橋店』、チェーン店のような名前だが、東京にはないようだ。(仙台にはある模様)
12時直前に入店するが、まだガランとしている。

この店の親子丼は2種類で『究極』は1000円、『極上』は1230円。その差を探るべくメニューをよく見ると『極上』は鶏肉が炙ってあるようである。取り敢えず今回は『究極』にして見る。

注文から3分で到着、早すぎる。しかし、蓋を開けるといい感じの半熟、早速レンゲで一口。やや、甘目のタレとトロトロ卵、しっかりした歯応えがある比内地鶏がバランス良し。


先日の鶏三和よりはご飯も量があり、私にも量的には問題なし。付いてくるセロリの漬物は箸休めにちょうど良い。残念なのは鶏スープ、あまりにあっさりしすぎである。

丼は味付けも好みで鶏肉もけっこう入っているところ、卵のトロトロ具合は合格点。惜しむらくはあっさりしすぎのスープと席が分煙でないところか。(やはり、ランチは禁煙)ただ、すいている時間に気楽に親子丼を食べるには良い店であった。


灯り家 日本橋店
中央区日本橋小舟町11ー7
0336390787

月島駅(2)

2017-02-07 05:00:52 | 日記

『メトロに乗って』その51。月島もんじゃストリートを歩き終え、次は佃島に向かう。佃大橋通り(都道473号線)を渡り、左に曲がる。次を右に折れると佃支川が突然左側に現れる。


この辺りからは昔ながらの漁師町であった佃島が残る地域である。まずは波除稲荷、こじんまりした漁師の守り神。


そして見えてきた赤い欄干の橋が佃小橋。橋の上からみると小型の漁船や釣り船の船溜りとなっており、昔ながらの漁村、その奥には林立する近代的なタワーマンションという面白い風景が広がる。


橋を渡ると突き当たりには佃まつりの際に担がれる神輿があり、その横には渡船の跡を偲ぶ石碑が立っている。


突き当たりを右に曲がると住吉神社、この神社は摂津国佃から家康が漁民33名を移住させた際併せて摂津国佃の住吉神社の神職が分身霊を奉戴して江戸に下り、幕府より鉄砲洲向かいの干潟を賜り、築島した。



これを故郷の名を取り佃島とし、この地に社を構えたもので、江戸時代から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めた。また、例祭は3年に1度8月6日に行われるが、古典落語『佃祭』にも登場する。(次回は2018年)

この住吉神社にお参りする。紅梅白梅がほころび、境内はそれほど大きくはないが、キリッとした神社である。水盤舎は明治2年のもので佃の風景が欄間に描かれ、水盤は天保12年の銘がある。


佃神社の反対側には佃煮を売る老舗が3軒、特に天安は昔ながらの造りの店で人気が高いようである。

隅田川の淵に上がると左には佃大橋、右には中央大橋を臨むことができる。この辺りに来ると隅田川も大河となり、クルーザーがすごい勢いで行き交う。


隅田川沿いに歩くと昔の灯台を模したオブジェ、その横には神社の淵を通る佃支川の流れを見ることができる。


江戸の風情と現代の技術を尽くしたタワーマンションがなぜか上手く調和した不思議な街並みが続く。とにかく見どころが多い月島・佃の散歩であった。(橋は橋めぐりで改めて)

月島駅(1)

2017-02-06 05:00:33 | 日記

『メトロに乗って』その50。今回は東京メトロ有楽町線と都営地下鉄大江戸線の通る月島駅で降りて歩いてみる。この辺りは古くからの街と新たに建設されたタワーマンションが併存する街である。

駅の案内にもあるように月島といえばもんじゃであり、月島西仲通りは通称『もんじゃストリート』と呼ばれている。入口には月島もんじゃ振興組合の事務所があり、ここで加盟店が書かれたマップが手に入る。そして1〜4番街の4区画に分けられた商店街を歩く。


もちろん、通常の商店、お茶屋、食料品店、魚屋などもあるが、本当にもんじゃの店が多い。


しかし、よく店をみると2階に掲げられた看板は大黒屋、だるまや、池本酒店など全く違う商売をしていた店がもんじゃの店に転身したり、店を貸して居抜きでもんじゃ屋にしたりしているのだろう。痕跡が残っているのもなかなか面白い。


さらに奥まで行くと昔は交番(現在は地域安全センター)だった建物がそのまま残り、また、店と店の間に路地が昔ながらにあるなど風情を残している。


また、左党には有名な東京三大煮込みの『岸田屋』ももんじゃ屋の大きな提灯の横に発見した。観光地らしく『お子様を連れての入場は申し訳ありませんがお断りします』との注意書きも小さく貼られていた。カウンターだけの酒場だから当たり前だとは思うが。(以下、次回)

第91回国風盆栽展

2017-02-05 05:00:00 | 日記

第91回国風盆栽展に足を運ぶ。と言っても朝日新聞の販売店から無料のチケットを頂いたからだが。国風盆栽展は第1回が1934年に東京府美術館(現、東京都美術館)で開催された。太平洋戦争で3年間は中止されたものの、1947年には復活、日本では最もレベルの高い盆栽の展覧会である。

会場の東京都美術館では同時開催のティティアーノ展などで大混雑、しかし、地下で開催の盆栽展にも足を向ける人は少なくない。


地下3階から見始めるが、最初は会長の河野洋平氏の蝦夷松、ついで野呂田芳成氏の五葉松と有名人の作品が並ぶ。やはり、こうした会だけに五葉松、松柏、黒松などが大勢を占める。


初めの方は大作が多いが、個人的にはあたかも江戸の街道沿いの風景を表すような米栂に目を奪われる。

雑木では葉は全て落ちているが、かえでやケヤキの細部までよく手が入れられたものもいい。また、素人らしく花のある野梅や木瓜、椿なども楽しい。


驚いたのは紫の実をたくさんつけたムラサキシキブや小さな実をたくさんつけたロッカクリンゴ、柿などは素晴らしい作品である。



後半には5点ほどを木の台に並べ、調和を楽しむものが飾られたが、そのなかで昨年我が家の梅の実が一つ育ったのとそっくりな花梨には感心した。


宮内省出品の黒松も中々の風格、年寄りばかりが目立ったが中には外人や高校生も混じり、将来も期待できる展覧会であった。


千住新橋

2017-02-04 05:00:34 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その29。今回は千住新橋を渡る。この橋は荒川に掛かるが、千住大橋と区別するためこの名前となった。上を国道4号線(日光街道)が通り、荒川放水路が開削された際に1924年に架けられたもの。その後、1972年から架け替え工事を行い、1983年に上下2本に分かれた現在の橋が完成した。


千住新橋を歩いて渡ろうとすると遠くアプローチが難しい。旧日光街道からいくと国道4号線の下をくぐり、側道から螺旋状の歩道橋を登り、やっと橋に到着。


そこから交通量の多い車道を横目に歩道を行くのだが、歩く人は殆どおらず、皆自転車に乗っている。松戸方向に向かい左側は遥か先まで見えるほど眺めも良い。

下にはサッカー場で汗を流す子供やランニングをする人達が小さく見える。川には浚渫船、これだけの規模があれば随分土砂も溜まるだろう。

長さは446mというからアプローチも含めて往復すると約1キロはある。川を渡りきると今の季節は枯れた葦原となっており、風が吹くたびに葦が揺れる。


渡りきると左側に何故かカモメたちが行儀よく座って羽を休めており、ここから河原に降りることができる。歩いても大きいが、下から眺めても立派な橋である。



河原を歩いて、反対側に行くと目の前に青く塗られたTXと常磐線の鉄道橋を見ることができる。日はあるが、風がめっぽう強く、歩くだけでくたびれる。


すると足立区のビルの向こうにスカイツリー、下町はどこからも見ることができる。あまり、風情はないが、規模には圧倒される橋である。

落合南長崎駅

2017-02-03 05:00:17 | 日記

『メトロに乗って』その49。今回は都営大江戸線落合南長崎駅で下車してみる。この駅はちょうど新青梅街道と目白通りが交差するあたりにあり、住所は新宿区西落合になる。


駅から新青梅街道を右に曲がり少し行くと自性院というお寺の入り口に『猫地蔵』の看板を発見。

調べてみると江戸城を築城したことでも知られている太田道灌が道に迷った際に猫が道案内をした故事により、猫が祀られている。



入口には大きな招き猫、参道を入ると左側に猫地蔵とある建物が。開いてないので諦めたが、中の地蔵菩薩の後背には猫がついている。また、道灌の猫を含めて2体の猫地蔵があり、節分にはご開帳される。猫好きの人は是非行かれると良いスポットである。



新青梅街道まで戻り、左に分かれる道を歩くと鉄道模型大手のKATOの本社兼ショールームがある。正面には京浜急行デハ268が飾られている。

中を覗くと大きなジオラマ、ゆっくり来たいスポットである。


さらにまっすぐ行くと哲学堂公園の敷地にぶつかる。道を渡り、公園の中に入って左に階段を登ると公園の正面に出る。入口の門には哲学関と真理界と書かれている。


哲学堂公園は東洋大学の創設者である井上円了が1904年にソクラテス・カント・孔子・釈迦を祀った四聖堂を建設したのが始まり。

その四聖堂は現在改修工事に入っていて見れないが、これを中心に精神修養の場としていくつもの建築物、門、橋などが整備された。現在は中野区の公園だが、今も建物が残されている。

四聖堂の隣には『六賢台』という菅原道真など東洋の6人の賢人を祀った塔、『時空岡』という哲学の時空間を表した建物、『絶対城』と名付けられた図書館、『宇宙館』という講義室など独特の世界観の中で哲学的な名をつけた77もの施設がある。




これを全て解明はできないが、年に一度中まで入ることもできるとのこと。他にはサッカー場や野球場、さらに古い水道施設の公園も隣接してある。

煮詰まった時にゆったりとしたリズムを取り戻すには良い場所かも知れない。私は祖父が哲学者だったが、少しも分かることはなかったが。もちろん入場は無料である。

暖房器具に関する疑問

2017-02-02 05:00:54 | 日記

『身近な疑問を考える』その1。今回は暖房に関する疑問2題。私も先日のブログにある通り、風邪を引いたからか、我が家の寒さが身に沁みた。風邪だからか普段はさほどでもないことも急に寒く感じるのである。


ようやく熱が下がり、風呂に入れるようになって気がついた疑問。浴室暖房は給湯を始める際にいつも点けるのだが、肝心なスイッチは『入浴前』と『入浴中』の2種類。いつもは『入浴前』にして、いざ風呂に入れる際に『入浴中』に変えるのだが、急にこの2つの違いが気になった。というのは以前に切り替えを忘れて『入浴前』にしたまま洗い場で体を洗ったら冷たい風が強く吹いて来て『暖房どころか、冷房か?』と感じたことがあったためである。今回は寒かった経験を生かして『入浴中』に変えたのだが、吹き出し口に手を当てるとやはり冷たい風が吹いている。確かに前に比べれば風力は弱いが、どう考えても冷風である。これは故障か。先日ボイラーを変えたばかりなのに。
そこで取説を改めて見ると、なんとこの2つの違いは風の強さだけということが判明。『入浴前』は強く暖気が出て滞留させ、浴室を温める。一方、『入浴中』はこれが弱くなる。しかし、湯船に浸かると身体が温まるため、上がって洗い場に行き、風に当たると冷たく感じるからでその場合は浴室暖房を止めた方が良いとのことである。『フーン、なるほど』浴室暖房は入浴したら止めるものなのだ。

次の疑問。我が家は寝室の暖房は全てエアコンだけなのだが、寒くなると途端に始動に時間がかかるようになることである。これは暖房の仕組みから考えても当たり前で外気から熱を奪って室内に取り入れる仕組みだからである。しかし、新しいエアコンはパワーと効率性が改善されているので機種を新しいものにすることでかなり防げる。よく、エアコンを買いに行くと『以前の機種と比較して燃費がよく、年間◯◯千円ものコストセーブできる』と書いてあるが、これは冷房ではなく、主に暖房のことのようだ。

では寒い朝に暖房を効かせる場合に例えば6時起床とすると、何時にタイマーセットすべきなのであろう。私は従来、冬だからエアコンが作動する時間も込みで5時半に入りタイマーをセットしていた。これは明らかな間違いである。
最近のエアコンは6時にセットすれば6時に適温には温まるようになっている。ただ、エアコンで27度に設定しても外気が0度近い場合はせいぜい22度くらいまでしか温まらないが。この2つの疑問ご存知でしたか?

北千住駅(2)

2017-02-01 05:00:54 | 日記

『メトロに乗って』その48。北千住駅の続きで元の宿場町商店街に戻り、旧日光街道を歩く。この辺りには古い住宅が結構残り、住居としているもの、婦人服小売や酒屋などをやっているものなど今も現役で活躍している。


その先には『旧高札場』を公園にしたもの。江戸時代は千住は人馬引継所として栄えており、明治の初期までは宿場の決まりや掟を掲示する場所として使われていたもの。

さらにその先左側には絵馬屋といって代々にわたり、絵馬や行灯、凧などの絵付けを行なう際物問屋の業を勤めている。これを今も商うのは極めて珍しい。


その向かいには横山家住宅という伝馬屋敷が残されている。元は松屋と号し、地漉き和紙問屋を営んでいた。この江戸時代後期に建てられた伝馬屋敷が関東大震災や太平洋戦争の空襲もくぐり抜け、今もあること自体がすばらしい。

そのすぐ先には『槍かけ団子』の看板が見えるが、この辺りはなぜか和菓子屋が軒を連ねる。その中で建物は新しくなったが、あん団子は85円と昔からのスタイルを貫く老舗は嬉しいものである。

この辺りからは商店も少なくなり、町歩きのネタも少ないので今回は終了。駅前通りの左側にも次の機会は行ってみたい。