hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

主水日本橋店〜日本橋ランチグルメ

2018-04-10 05:00:42 | グルメ

日本橋には富山県、奈良県、三重県、福島県などアンテナショップが多くあるが、島根県のアンテナショップに付属していたレストランが独立したものが『しまね魚酒場 主水』である。ここに来ると島根県の郷土料理を気楽に食べることができる。


初めてお邪魔したのだが、ランチは大括りにすると『がいな丼』と『出雲そば』の2種類。『がいな』とは島根県の方言で『大きい、すごい』といった意味、種類は焼き鯖、イカ、鳥、シラスとそぼろ、ヒラメの昆布締めなどあるが、やはり少し高いが『海鮮がいな丼』(1400円)にしてみる。

頼んで5分程度で到着、小さなタライにご飯を敷き詰め、その上にヨコワ、ヒラメ、イクラなど海鮮に加え、卵焼きをサイコロ状に切って載せ、海苔が降ってある。これを茶碗にとって食べるが、ご飯はそれほど深くはなく、まあ、食べられる程度。

最初の1杯はそのまま、醤油、と言っても西日本のやや甘めのもの、を掛けて食べる。魚が新鮮で大変美味い。酢飯ならばばら寿司だが、少し魚が大ぶりで食べ応えあり。

次に茶碗によそうと、薬味の刻みわさび、塩昆布、白ネギなどを添えて食べる。特に刻みわさびはパンチが効いた辛さで美味い。色々と味を変えながら食べるため飽きることもない。

3杯目はテーブルに常備されている出汁をかけてお茶漬け風で頂くが半生になった刺身と甘い醤油がよく合い、これもまたいい。


窓の外には袂に桜が満開の日本橋の全景が見え、メニューを見ると夜は島根県の地酒や地元のツマミも味わえる様子。次回は夜も来てみたい店である。ご馳走さまでした。


主水日本橋店
中央区日本橋室町1ー5ー3
0332312213

尾久駅

2018-04-09 05:00:33 | 日記

『鉄道シリーズ』その203。北区の2つ目マイナー駅は尾久駅。まず、駅のある場所は尾久ではなく、北区昭和町(しょうわまち)。


これは1929年に駅が開設した時から尾久ではなく、北豊島郡滝野川町に属していたのである。また、地名は『おぐ』であるにもかかわらず、駅名は『おく』と濁らない。乗降客数(16年度)も9042人と23区内JR駅では越中島駅、上中里駅に次いで少ないのである。


しかし、一方で上野東京ラインの電車は品川→東京→上野→尾久→赤羽しか停車しない。秋葉原も日暮里も止まらず、尾久駅からは殆どの電車にグリーン車が併結されているのである。これは尾久駅は東北本線の駅であるため。


駅の正面には明治通りが走り、周辺にはコンビニもある。駅に入るとすぐに下りエスカレーター、地下通路を少し歩き、上りエスカレーターで島式2ホームに辿り着く。電車はひっきりなしにくるが、これは東北本線(宇都宮、小金井行)に加えて高崎線(籠原、高崎行)も通るからである。


他にも特急などが通過するため、電車好きにはたまらない。電車区にはカシオペアやE231系などに混じり、ディーゼル機関車なども見ることができる。

しかし、これだけ便利ではあるのに普段は閑散とのんびりした駅である。電車好きなら回送の185系なども来るので面白い。

田端駅

2018-04-08 05:00:31 | 日記

『鉄道シリーズ』その202。今回は北区にある3つのマイナーJR駅を巡ってみた。最初に訪れたのが田端駅。実は田端駅周辺の地価は山手線の駅の中では最低、1日の乗降客数も鶯谷、新大久保、目白についで4番目に少ない46千人(16年度)。しかも他の3駅は乗換が全くないが、田端駅は山手線と京浜東北線の乗換駅である。


田端駅に降り立つと大宮方面に向かい左側は崖になっていてその向こう側は住宅地、右側はたくさんの線路、田端電車区となっている。

降り口は2つ、うち南口は寂しく、山側にしか降りることができない。北口が正面玄関となっていて殆どの人は北口を降りる。


左側に向かうと以前坂巡りをした旧田端文士村だが、今日は跨線橋を通り、右側に向かう。線路の向こうにはJR貨物、こちら側にはJR東日本東京支社の立派な建物がある。


その先はT字路になっており、左側に坂を下りる。すると一気に静かな商店がばらばらと立ち並んでいて、真っ直ぐ行くと上中里・王子方面に行くが今日は右に曲がる。


その先には踏切と高架が並んでいる。線路沿いを左に曲がるが、この先は操車場のため、線路を跨ぐ道路は1本しかない。右側は荒川区東尾久となる。高架の線路が徐々に低くなり、ブルートレインの車両なども見ることができるが、線路は東北本線で上野東京ラインの開通後は熱海行や籠原行などが行き交っている。


しかし、道の方はたまに周辺の工場に出入りするトラックと休んでいる商用車やタクシーなど。線路脇には大根の紫色の花が咲き乱れていた。この道を行くと先の方には尾久駅のホームが見えてきた。田端駅からは1.6km、約20分で到着。

小石川付近の坂道(1)

2018-04-07 05:00:56 | 坂道

『江戸の坂、東京の坂』その97。小石川植物園を出て周辺の坂道を歩く。植物園の前の道をまっすぐ行き、広い道に出て小石川植物園前の交差点に出る。

春日通りに向かって坂道が2つ、うち共同印刷に沿っている手前の坂が『吹上坂』。これはかつての地名、吹上村から付けられたもの。

坂下に戻り、広い方の道を行くが、この坂が『播磨坂』。異様に広いこの道は戦後の区画整理により作られた環状3号線だが、この坂道の先、春日通りでおしまいとなる不思議な道である。


両側には桜が130本植えられていて道は広いが通行量も少ないため、桜が満開の週末には歩行者天国になり、桜まつりが行われる。坂の名前はかつて松平播磨守の屋敷があったため付けられた名前である。


坂を途中まで上り、右に曲がる。さらに左に曲がるとすぐのところに『石川啄木終焉の地』がある。石川啄木は上京後も大変貧しい生活をしていてさらに結核を患い、1912年4月13日に26歳で亡くなった。この場所にはその前年の8月に引越しをしてから住んだのであるが、厳しい生活を強いられ、さらに色々と不幸な事件もあり、年を越す頃には弱っていたようで、碑にある最後の2首を詠んだのは2月頃と呼ばれている。


碑の隣には石川啄木顕彰室があり、無料で入場することができる。

坂道を上り、次の道を右に行くと小石川図書館があるが、その前の小さな坂道が『団平坂』である。


その由来は付近に団平という米搗きをする人が住んでいたから付いたものだが、なぜ庶民の名前が坂道に付けられたのか、彼がどういう人であったのかは全く残されていない。


団平坂の先の春日通りを右に曲がると茗荷谷駅に出るが、その先を右に曲がると筑波大学があり、その先は長い下り坂となっているが、この坂道が『湯立坂』。


区が作った標識には昔はこの坂道の下には小石川という広い川が流れ、入江となっていて対岸の氷川明神には渡る事が出来なかった。そこでここで氏子が湯を立てて奉ったことからついた坂道の名前の由来と言われている。

タレカツ〜吉祥寺グルメ

2018-04-06 05:00:33 | グルメ

カツ丼には一般的なトンカツを卵でとじたもの以外にもシオカツ丼、ドミカツ丼、ソースカツ丼などがあるが、私の好みから言うと今日ご紹介するタレカツ丼が一番である。

タレカツ丼の店は結構目にするが、吉祥寺の『タレカツ』に行くことが多い。ただ、開店当初はそれほどでもなかったが、若い人が多い吉祥寺ではそのボリュームと値段の手頃さから昼時などは長蛇の列ができてしまう。

今日も列がないので店の戸を開けるとちょうど満員、やむなく待つ。すぐに帰る客がいたので入店。ヒレカツは売り切れたと店員が申し訳なさそうに言う。私はいつも合盛り丼(980円)を注文する。合盛り丼はロースが2枚、エビフライが2本の豪華版である。

注文を受けてから作るので10分ほど待つが気にならない。到着した丼はカツとエビフライ、さらに味噌汁とキャベツの漬物が付く。まずはカツから、最初は何も付けず一口。やや甘口の醤油ダレが美味い。カツも繊維を叩いていて、カリッとした歯ざわりがいい。次に辛子を少し付けるがこれも美味い。ほかにも粉山椒や七味など色々と楽しみながら食べ進める。


次にエビフライに行く。ちゃんとタルタルソースが別に付いてきてこの出来がいいのだ。タルタルソースを乗せて食べるが甘辛とタルタルソースが合うのはチキン南蛮の原理である。それに甘酢の生姜がこれまたよく合う。


ご飯は普通盛りにしたが、大盛でもメシが食えるだけの具がある。結構、女性も大盛りにチャレンジしているが、やはりこのタレがご飯によく合うからだろう。ご馳走さまでした。


タレカツ吉祥寺店
武蔵野市吉祥寺南町1ー1ー9
0422430429

小石川植物園を散策

2018-04-05 05:00:55 | 日記

小石川植物園を久しぶりに訪れた。正式名称は東大大学院理学系研究科附属植物園である。その歴史は古く、元は五代将軍綱吉の屋敷跡でその後1638年に江戸幕府により小石川御薬園として開園されたものが最初である。さらに享保の改革で吉宗が下層民を対象とした小石川養生所を設け、また、青木昆陽が飢餓対策作物として甘藷の試験栽培をした場所でもある。


私は文京区大塚に子供の頃暮らしていたが、ここから小学校が近く、よく放課後に遊びに来た場所である。入口で入園料400円を払う。中に入るとすぐ前に桜の古木があり、花を付けている。


左側の日本庭園に向かう道を選んで歩くが、ツバキやコブシ、レンギョウなどもとりどりの色の花が咲き誇っている。


その先には池もあり、池の周りには色々な鳥もいる。池にはザリガニ捕獲禁止の立て看板、子供の頃に紐にスルメを付けて池の中に入れるとザリガニが簡単に釣れたことを思い出した。日本庭園の池の向こうには旧東京医学校の煉瓦造りの建物、立派で威厳がある。


右に曲がり、小高くなった場所にはミヤマガンショウの白い花、やや大きめのモクレンのような花が目立つ。ユリの木やサクラといった大きめの木がそびえ、さすがに植物園である。


関東大震災の記念碑、これは震災後に避難所となった植物園に感謝の意を表した住民が作った物である。

その先は開けてサクラが多く植えられ、特に枝垂れ桜は満開で美しい。サクラの木の下では子供達が花見を楽しんでいた。


レンギョウが植えられている先にはスカイツリーも臨むことができる。小石川養生所時代から使われていた井戸があり、その先は薬草園となっている。


まだ、薬草は芽が出ている程度であった。茶店があり、その横の階段を下ると入口近くに出る。神代植物公園ほど広くはないが、歴史もあり、様々な植物を楽しめ、散策にはもってこいの場所である。

冷蔵庫が壊れた日

2018-04-04 05:00:40 | 日記

唐突だが、家電製品の中で最も故障すると痛いのは何だろうか?少し前にテレビが壊れたり、パソコンが調子悪くなったりしたが、テレビは他にも2台くらいあるし、パソコンはタブレットやiphoneなどで問題なく代替できる。洗濯機だって少しくらい使えなくても何とかなるし、電子レンジにはガス台もある。そんな中で代替性がなく、原因も分からず、しかも突然死してしまうのが冷蔵庫である。

冷凍庫のアイスクリームが少し柔らかいかなと思ったのが6日前の夜。しかし、その時は冷蔵部分は通常通り動いていた。ただ、少しコンプレッサーの音が大きくなっているような気がしたのでいつもより強めにしたのである。早速、翌日の午前中に購入した量販店に修理を頼み、そこからメーカーT社に連絡してもらう。しかし、修理依頼が多くようやく担当者が来てくれたのが3日前。その前に冷凍庫も冷蔵庫も冷えなくなっていた。

土曜日の午後2時過ぎに担当者が到着、気の良さそうなおじさんである。すぐに冷蔵庫の状態をみてもらうと『コンプレッサーは動いてます。ただ、何かしらの原因で内部の配管から冷媒が抜けてしまっていて全く冷える機能が止まってます。そんな中でコンプレッサーを動かし続けるとこちらもいかれてしまう。買ってから何年ですか。』『2011年だから7年は経っていないね。』『修理をすることはできますが、一旦埼玉県F市にある工場に持って行くことになります。修理期間は1ヶ月くらい見てもらわないと。というのは修理した後、問題ないか、ちゃんと冷えるかと様子を見るんでね。もちろん、代替の冷蔵庫はお貸ししますが。修理代も最低7万円は掛かります。申し訳ないけど。』この話を聞いて修理する人はまずいない、たとえいたとしても親の形見などよほどこの冷蔵庫に思い入れのある人だけだろう。

さらにおじさんは畳み掛ける。『たとえ直っても7年経過しているんだから、あと2年くらいで表示しているLEDが切れたり、タッチドアがいかれたりするからあまり経済的ではないですよ。』『昔は冷蔵庫は最低10年はもったのに最近は寿命が短いですね。』『T社は今は部品だけでなく、組立も全て海外、だから当たり外れが多いんです。その上、会社の経営も良くない。虎の子の医療機器は売っちゃうし、今度は半導体。白物家電も中国の美的に売ってしまっていて今はブランドだけが残っているだけ。以前のT社とは根本的に違う。少しは安くなったけどね。まあ、私の仕事については売ったストックがあるから、今しばらくは修理はあると思うけどね。』
『それなら次買う時はどこがいいですかな。』『P社、H社、M社あたりかな。S社もあるけどこれも海外資本になっちゃってね。』そんな会話の後『わざわざお休みの日に待っていただいて、結局は引導を渡しに来たようで申し訳ないです。』と済まなそうに話すとおじさんは帰って行った。

なるほどT社は末端と言っては申し訳ないけど、修理のおじさんまでもが昨今の状態にはガッカリしているようで、これでは士気が上がる訳がないと感じた。その後は件の量販店に行って慌ててM社の冷蔵庫を購入。4月初旬に安くなる訳もなく、しかも配送は3日後、ついてないがぼやいてもぶつけるところもない。
新しい冷蔵庫到着までは単身赴任の頃買った小さな韓国製LGの冷蔵庫に頑張って貰うしかない。しかし、20年前の機種だが、元気に孤軍奮闘、単純な設計の方が長持ちする、これも家電の常識かもしれない。トホホ。ちなみに新しい奴は今日やっと来るはずである。

白山付近の坂(3)

2018-04-03 05:00:49 | 坂道

『江戸の坂、東京の坂』その96。今回は以前に行きそびれた文京区白山付近の坂からスタート、小石川まで坂道巡りをしてみた。今回回るのは主に白山通りの東側、ただ、その前に東洋大学の北側の坂道から回る。
都営地下鉄三田線で白山駅で下車、白山神社に向かう道から東洋大学のキャンパスを回るようにして白山通りに出る。途中は箱根大雄山の別院などがある住宅地である。


白山通りを右に曲がり、東洋大学と京華女子高の間にある細い道(区の設置した旧町名・原町の看板を目安に曲がる)を右に曲がるとくの字を反対にしたような細い坂道になるが、これが『暗闇坂』である。


同じ名前の坂が麻布十番などにもあるが、いずれも細い急坂で、周りが少し高く見通しが悪い。昔は電灯もなく、周りに藪などある場所は暗闇で怖かったためつけられた名前であろう。


一旦、白山通りまで戻り、渡って左に曲がる。この辺りは古くから寺の多いところであり、右の路地に看板があるため行ってみると本念寺。そこには江戸中期の文筆家『大田南畝(蜀山人)』の墓がある。


白山通りに戻り、その先の道を右に曲がるとすぐにある坂道が『逸見坂(へんみざか)』である。名前の由来は坂の近辺に逸見某という幕士の屋敷があったためであると言われている。

白山通りの白山下交差点を右に上って行くのが『蓮華寺坂』だが、まずは先に進む。右に曲がり、指ヶ谷小学校の前を通る細い道にあるのが『伊賀坂』という緩い坂である。


この辺りは江戸時代と地形はあまり変わっていないが、坂道の名前の由来は伊賀者の同心衆の屋敷があったからだとも、真田伊賀守の屋敷があったためだとも言われている。


白山通りに戻り、蓮華寺の前を通過して左に曲がると『蓮華寺坂』という長い登りの坂道がある。現在も蓮華寺は立派な寺だが、室町時代1587年に高橋図書という人が開基した寺で塔頭が6つもあった寺である。


坂を登ると左側には教会、さらに左側には小石川植物園が出てくるがその塀に沿って下っていく坂道が『御殿坂』である。


元は五代将軍綱吉が館林侯の時代に白山御殿と呼ばれていたが、将軍就任後その後は薬草園、さらに1722年には小石川養生所が設けられたのである。その御殿をとって付けた坂の名前で住居表示の前は白山御殿町といった。(以下、次回は小石川植物園に足を向ける)

めん徳二代目つじ田〜八重洲ランチグルメ

2018-04-02 05:00:53 | グルメ

日本橋で昼になり、ランチの店を探す。色々な店があるが、少し時間が早いのでいつも列をなしているラーメン店『つじ田』が運良く待ちなしのため、思わず券売機の前に。まだまだ、寒いのとあまりつけ麺を食べないので味玉入り中華そば(880円)にネギまし(80円)の食券を買って店内に。

ずらっと厨房を囲むように席があるが、あと空席は2席、ラッキーである。食券を出して気がつく、右側に4人いるが誰も食べていない。それから待つこと10分、まず私のところに麺が届く。なるほど、他の人はつけ麺で茹で時間がかかるのだろう。


やってきた麺はチャーシュー1、メンマ少々、海苔1枚、味玉1個を半分に割ってあるもの、がトッピングされ、丼は意外に小さい。麺は中太であるが、それほど硬くない。まずはスープから、前に貼ってある能書き通り、薩摩軍鶏でとった濃い鳥スープに野菜の甘さが溶け出していて優しい味付け。塩辛くないのが嬉しい。

麺もおとなしく、メンマも色の割に薄味である。チャーシューはホロホロと崩れるほど柔らかく、スープを吸わせるとさらに美味くなる。全体にバランスがよく、周りの客は男ばかりだが、女性にも人気がありそうである。

途中で別皿盛りの白ネギを追加するが、これもいい。最初は黒胡椒にしてみたが、やはり能書き通り黒七味の方がフィットして味にアクセントが付く。濃厚なスープを頂くと腹も満腹、いやはやご馳走さまでした。


めん徳2代目つじ田 八重洲日本橋店
中央区八重洲1ー4ー6
0335279373

神田橋

2018-04-01 05:00:56 | 川と橋とダム

『ぶらり橋巡り』その67。鎌倉橋に引き続き神田橋へ。神田橋は交通情報を聞いているとよく閉鎖されるランプだが、まさに橋の上に神田橋ランプはある。橋の上を通るのは日比谷通り、江戸時代は将軍が上野寛永寺にお参りする際に渡ったものである。

神田橋の名前はもともとこの辺りに神田明神があったことから来ており、江戸城増築の際に現在の場所に神田明神が移されて以降は神田御門と土井利位の屋敷があり、土井の職位が『大炊殿』であったため、大炊殿橋と呼ばれていた。しかし、1923年の関東大震災で崩壊し、1925年単純鈑桁橋として架け替えられたものが今の橋で以前は都電も走っていた。

橋の袂にはこれら震災復興に尽力した太田圓三の功績を称えた碑が残されている。彼は十河信二(のちの国鉄総裁)らと帝都復興院で橋の復興を手がけていたが、贈収賄事件の嫌疑をかけられ、自殺した。


また、他にも神田橋公園には『豊展観守像』という金色の像があるが、これは彫刻のある町千代田として久保金司氏より寄贈されたもの。コガネムシと人間を擬人化したもの、である。

橋の袂には喫煙所があり、おっさんたちがタバコを燻らせているが、こんな像を見る人は1人もいなかった。

大手町側に渡ると経団連会館、JA・日経ビル、讀賣新聞ビルなど名だたる企業が連なり、大手町駅はすぐの所にある。