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『ぶらり橋巡り』その67。鎌倉橋に引き続き神田橋へ。神田橋は交通情報を聞いているとよく閉鎖されるランプだが、まさに橋の上に神田橋ランプはある。橋の上を通るのは日比谷通り、江戸時代は将軍が上野寛永寺にお参りする際に渡ったものである。
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神田橋の名前はもともとこの辺りに神田明神があったことから来ており、江戸城増築の際に現在の場所に神田明神が移されて以降は神田御門と土井利位の屋敷があり、土井の職位が『大炊殿』であったため、大炊殿橋と呼ばれていた。しかし、1923年の関東大震災で崩壊し、1925年単純鈑桁橋として架け替えられたものが今の橋で以前は都電も走っていた。
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橋の袂にはこれら震災復興に尽力した太田圓三の功績を称えた碑が残されている。彼は十河信二(のちの国鉄総裁)らと帝都復興院で橋の復興を手がけていたが、贈収賄事件の嫌疑をかけられ、自殺した。
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また、他にも神田橋公園には『豊展観守像』という金色の像があるが、これは彫刻のある町千代田として久保金司氏より寄贈されたもの。コガネムシと人間を擬人化したもの、である。
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橋の袂には喫煙所があり、おっさんたちがタバコを燻らせているが、こんな像を見る人は1人もいなかった。
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大手町側に渡ると経団連会館、JA・日経ビル、讀賣新聞ビルなど名だたる企業が連なり、大手町駅はすぐの所にある。