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『江戸の坂、東京の坂』その97。小石川植物園を出て周辺の坂道を歩く。植物園の前の道をまっすぐ行き、広い道に出て小石川植物園前の交差点に出る。
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春日通りに向かって坂道が2つ、うち共同印刷に沿っている手前の坂が『吹上坂』。これはかつての地名、吹上村から付けられたもの。
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坂下に戻り、広い方の道を行くが、この坂が『播磨坂』。異様に広いこの道は戦後の区画整理により作られた環状3号線だが、この坂道の先、春日通りでおしまいとなる不思議な道である。
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両側には桜が130本植えられていて道は広いが通行量も少ないため、桜が満開の週末には歩行者天国になり、桜まつりが行われる。坂の名前はかつて松平播磨守の屋敷があったため付けられた名前である。
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坂を途中まで上り、右に曲がる。さらに左に曲がるとすぐのところに『石川啄木終焉の地』がある。石川啄木は上京後も大変貧しい生活をしていてさらに結核を患い、1912年4月13日に26歳で亡くなった。この場所にはその前年の8月に引越しをしてから住んだのであるが、厳しい生活を強いられ、さらに色々と不幸な事件もあり、年を越す頃には弱っていたようで、碑にある最後の2首を詠んだのは2月頃と呼ばれている。
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碑の隣には石川啄木顕彰室があり、無料で入場することができる。
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坂道を上り、次の道を右に行くと小石川図書館があるが、その前の小さな坂道が『団平坂』である。
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その由来は付近に団平という米搗きをする人が住んでいたから付いたものだが、なぜ庶民の名前が坂道に付けられたのか、彼がどういう人であったのかは全く残されていない。
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団平坂の先の春日通りを右に曲がると茗荷谷駅に出るが、その先を右に曲がると筑波大学があり、その先は長い下り坂となっているが、この坂道が『湯立坂』。
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区が作った標識には昔はこの坂道の下には小石川という広い川が流れ、入江となっていて対岸の氷川明神には渡る事が出来なかった。そこでここで氏子が湯を立てて奉ったことからついた坂道の名前の由来と言われている。
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