outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

失うもの・・

2007年03月02日 12時08分15秒 | 長期のヨット生活
昨日の夜は季節風も少し弱くなりました
「涼しく」て気持ちよく薄い布団を被って寝ています。そして感じたことなんですが・・・

南の国の島影や入り江、湾内に停泊しているホロホロで寝ている時、殆ど全ての窓やハッチは網戸にして開け放たれています。
当然風が吹き抜けるのですが殆どの場所では「非常にいい空気」が吹き抜けていきます。これは日本でなら田舎でなければ味わえないし
なにより限られた短い季節だけのものです。(花粉も飛ぶし・・)  日本に帰ると決めた今、残り少ないクルージング生活をしながら十年以上続けてきたこの生活の中で「失う物」を考えてみるとこの「吹き抜ける風」が意外に大きな喜びだったことを感じています




昨日からの続きは・・・長くなりそうなのです
幸せだから「自殺したい」と言う人は居ないように思います。自殺する人が考えるのは「生きているより死んだほうがいい」と思うか
「死んだほうが楽になる」と判断するからでしょう。 確かに死ぬのは一時的苦痛で済むかもしれません。死後の世界を知りませんから
、自殺した人も事故で死んだ人も老衰の人も全く同じように「何もない世界」に行くのか「地獄や極楽」に行くのか「魂だけがこの世を漂
うのか」解りませんが・・・


僕がしていることを見て「いつ死んでも悔いはないだろう」と言ってくれる人が居ますがそれは「大間違い」です。仕事をしていた頃に
何度か死にそうになったことがあります。その度ごとに死に対する恐怖は大きくなりましたし、今まあ割りに好きなように暮らしていると
益々「死にたくない」気持ちが強くなります。しかし残念ながら生まれた限り誰ものゴールは死でしかありません動物も草も木もやがて
は全て死ぬ運命にあるのですから・・

ただ同じ死ぬにしても「生きている間」を愉しくしたり、苦しくしたりと人はコントロールが出来ると思います。そして愉しい方向に
コントロールする技術があればどんな境遇に対しても「自殺」などは考えなくても、それなりに愉しく死ぬ時まで過ごせると思うのです


食べ物も生きていく量に足りなく、栄養だのビタミンだの言っている余裕もなく、ただ腹が膨れるだけのモノを口に入れたいだろうと思う
人達、怪我をして傷口にウジが住み着きそのウジが動くと痛いと言っていた人。そんな人たちに自殺する人が居ないだけでなく、愉しそう
に、なをかつ人のことを思いやって生きていたのを見て「心の持ち方の大切さ」を感じました。 そんなことから「このように考えたら・
・・」と思うことを書いてみます


「幸せ」が果実だとしましょう。実になる前は「花」です。花が咲くのは「木」で木が生えているのは「土」です。
いい土壌の土から良い木が育ち、よい木から良い花が咲き良い果実をつけるのは植物に限っての事ではないように思います。すっかり忘れ
ていますが昔はそんな事を勉強していた時代がありました・・土壌は非常に大事でした。悪い土では立派な実はなりませんでした。

そして考えてみると「幸せがなる木」にはどんな土壌がいいのでしょうか。僕が思うのは「良い土」に見合うのは「良い心」しかないと
思います。世界の平和や皆の幸せを願う殆ど誰もが持っている心でいいのだと思います。その良い心から木が芽生え育つ為に絶対に必要な
のが「水」と「太陽」だと思います。 水と太陽に変わるものは何でしょうか・・・


それは次回にして今日はこれで置きますので考えて見てください。ただ僕が思ったことが正しいかどうかは解りませんが・・・
コメント
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