今日からしばらくはコタキナバルを出てクロッカー山脈を越えてタンブナンに下りキナバル公園までと、コタキナバルを出てクロッカー山脈を越えケニンガウに下りタンブナンからマフアの滝、そして再度キナバル公園とポーリン温泉に行ったなかで写した野鳥です。
最初はタカサゴモズからです。ネパールやタイにも沢山居ました
次はタンブナンで写したヒメカッコウです。
ハイノドモリチメドリはクロッカー山脈とキナバル公園で写しました。キナバル公園の野鳥はこんな鳥まで捕まえて脚輪を入れたのかと驚く程多くの野鳥の脚に数本の脚輪が入っていました。
最後にロクショウヒタキはキナバル公園やポーリン温泉で写しました。
さて今日はラナウの宿を出て230キロ走ってサンダカンに来ました。
途中少し探鳥しましたが成果はオオバンケンとキゴシタイヨウチョウだけで初見初撮りはありませんでした。
セピロックも少し様子を見に行ったけど、、、、鳴き声は聞こえて来ますが姿を見つけるのが難しく、自信を無くしています。
しかしセピロックでは珍しい色々な野鳥を皆さん写してるので、ガイドはいないけど何日か通って成果を出したいと思います。
サンダカンの宿はセピロックに近い場所のマイドリームホテルに連泊。
夕食は近くの中華屋にいったら予想以上に美味しくて喜んでいます。
サンダカンは明治から大正に掛けて沢山の若い女性が「カラユキさん」として出稼ぎ娼婦に来ていて、それは「サンダカン八番娼館」と言う本に詳しく書かれています。
カラユキさん逹は13歳から18歳で日本を出てマレーシアやシンガポールに数千人が来たようです。
サンダカンにもそんなカラユキさんのお墓が沢山ありますが、マレーシアのペナン島にはもっと沢山のお墓があります。
その人逹が死亡した平均年齢は数え歳で二十歳余りだったそうです。
死亡原因はマラリアや結核、性病が多かったようです。
今経済的に恵まれてる日本ですが百年前はそんな状態だった事を忘れてはいけないと思います。
話は変わりますが今年四月から6月まで僕を含め三人が乗って台湾まで航海したヨット(マハリン三世)が昨日出港してフィリピンに向かっています。
ただ風が強いので今日は台湾の南端に近い港に緊急入港してるようです。