お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

インド仏教衰退の理由

2007年04月10日 | 仏教
 仏教発祥の本家本元のインドで、なぜ旧仏教が滅亡したのか・・・

 「22世紀の浄土真宗」波佐間正己 著 探究社 におもしろい記述があります。
 筆者はインド仏教遺跡巡拝を五回したが、現地ガイドの宗教によって、仏教衰退の理由説明がその都度に異なるのだそうです。

 ヒンズー教徒のガイドの場合「イスラム教が進入して滅ぼしたのだ。仏像を偶像といって破壊した跡が歴然」

 イスラム教徒のガイドの場合「ヒンズー教が釈迦仏を取り込んで、神さまの1人としたから、仏教独自は消えたのだ」

 シーク教徒のガイドの場合「他の宗教から攻められた時、戦わないから滅んだのだ」
 
 いずれも正解かもしれません。学問的には、中央仏教学院通信教育部の二年次「仏教史」のテキストを要約しますとと、

 紀元前後から数百年をかけて多くの大乗経典が成立し、これを中心に高度に思想的に深化、一般民衆には理解されにくくなり、寺院の中、僧侶だけの学問仏教と化し、社会から衰退。
 8世紀以後のインド仏教はすべて密教化され、ヒンズー教と融合。こうして、本来の仏教本質は失われていった。
 12世紀後半からはイスラム教徒によってインドは征服され、仏教寺院は破壊、僧侶はチベットやネパールに逃亡。インドの仏教教団は滅亡した。

と、いうことであります。
 


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中村哲 医師

2007年04月09日 | 本紹介
 ご存じの方が多いと思いますが、パキスタン国境沿いのアフガニスタン・ペシャワールをベースとして、医療と水源確保の支援活動を25年続けておられるのが、中村哲 医師です。

 昨日ご紹介した雑誌「ジッポウ」に中村医師のインタビュー記事が載っていますが、その中で印象的な言葉をご紹介。

 「現地の習慣や文化風土に対する配慮に乏しい、おカネをばらまくような国際支援には疑問を感じますね」

 日本については
 
「みんな勉強し過ぎて頭がどうにかなっているのではないでしょうか。イジメが陰湿化したり、親が子どもを、子どもが親を殺したりする。先日もアフガニスタンから来たジャーナリストが驚いていました。向こうより日本のほうが治安が悪いから」
 
 「オカルトや怪しげな精神世界が流行するのも、おそらくみんなが『観念の世界』に生きているから・・大地を耕すなど現実に向かっている人には、およそあり得ないことです」
 
 「価値観までアメリカナイズされる必要はありません」
 
 「昔は都会に出てクビになったり失敗すれば、帰るべき田舎がありました。実家の農業を手伝えば少なくとも食えたわけです。食べ物を商品と見なすから経営や収入がどうのこうのとなるわけで、農業は精神的にも物理的にも、自然保護ということからも偉大なバックグラウンドだった。それが消滅しつつあるのですから、この国の病根は深いですね」

 もちろん、生活形態、時代を昔に戻すことは不可能でしょうが、世界に比べて豊かな国土で、贅沢な暮らしをしている私たちですから、豊かさと反比例して、こころが砂漠化しないように生きていきたい 自然の中で謙虚に生きていきたい とあらためて思ったことでした。

 
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ジッポウ

2007年04月08日 | 本紹介
 昨日、本山より、宗門が新しく刊行する、季刊誌「ジッポウ」の創刊号と宣伝依頼状が届きました。

 チラシによりますと、

  新創刊! こころの問題を考える人生誌  こころのクオリティ・オブ・ライフマガジン 「ジッポウ」季刊 3,6,9,12月発行

 「ジッポウ」とは「十方」。地上の八方向に、上方・下方を加えた全方位を意味します。現実世界(八方)ばかり気にしてきた人たちに、あの世とこの世という関係を意識してもらいたいという願いを込めています。団塊の世代の「こころの問題=生きるというのはどういうことなのか」を、「生・老・病・死の問題」とし、一流の執筆陣を通じて問題提起し、解決していく人生誌です。

 「ジッポウ」は親鸞聖人750回大遠忌(だいおんき)(2011~2012年)に向けた、中間法人仏教総合研究所の編集協力によるダイヤモンド社の発行マガジンです。

と、なっています。
 西本願寺が一般向けに発刊。書店店頭にも並ぶそうで、大変うれしいことです。

 ただ、一冊が1,500円は高すぎ・・・私なら、雑誌に1,000円以上は、まず出しません。
 もっと、安くならなかったのでしょうか 気軽に買って読んでみようと思わせるような価格・・・ 

 おこづかいに余裕のある方は、ぜひ書店で、あるいは定期購読年間6,000円でお申し込みください。 

お問い合わせ:ダイヤモンド・サービス・センター 0120ー700-853(9:00~18:00 土日祝休)

 
 
 
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花祭り

2007年04月07日 | 仏教
 4月8日はお釈迦様のお誕生日。
 
 佐賀市の中心街でも、きょう、明日、願正寺さん中心に、数カ所に花御堂が用意され、仏教各宗派の僧侶方やお稚児さん行列が華やかに行われています。

 私が受講した中央仏教学院通信部の「仏教」テキスト(執筆・北畠典生 師)の本文を参考にご紹介しますと、

 インド北辺、現在のネパールの釈迦族の王妃マーヤーは、里帰り出産の旅の途中、ルンビニーの園で美しく咲き乱れる花々の美観の中で休息をとっている時、急に産気づいて太子を出産された。
 これがお釈迦様で、4月8日だったと伝えられている。出世年代は諸説あり、紀元前6~5世紀頃。

 お釈迦様出世の時代、人類思想の黎明期でもあった。中国では孔子、諸子百家と称せられる思想家が出た時代。ギリシャではピタゴラスやソフィストたちを経て、ソクラテスに至る時代に相当する。

 釈尊の誕生にまつわる「四方七歩の宣言」がある。
 これは、お釈迦様が誕生と同時に七歩歩まれ、四方に向かって「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当安之」と宣言されたということである。
 この宣言の意図するところは、「迷いの境界は苦悩なので、それらの全ての人を悟りの境界に導き渡す使命と責任をもって我は生まれたのである」それ故「天上天下唯我独尊」である。 
 
 だから、この「天上天下唯我独尊」は、決して独善的、傲慢ではなく、あくまで釈尊自身の使命感と真理体現者としての崇高さを表しているもの。

 つまり、イエス・キリストをだたの人間と見ずに、神の子と見るのと同様に、人間として生まれた釈尊が、後に悟りを開いて仏(真理に目覚めた者)となった・・・という見方よりも、仏の世界から人間を悟りへ導くために、この世に生誕された・・・と、受けとるのですね。

 そうでないと、上記エピソードも、「生まれたての赤ん坊が(七歩も)歩けないだろう」「赤ん坊が『天上天下唯我独尊』なんて、しゃべるわけないだろう」
 「それは、ないやろう。チッチキチー」になってしまう。

 お釈迦様以外、誰も到達したことのない、真実涅槃の悟りの境地・・・
 その正反対の迷界・対極にいる私・・・

 私はお釈迦様の説法「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」でお示しくださった阿弥陀如来に全てをお任せする「救い」しか、悟りに至る道はありませ~ん。
 花祭りにあたり、あらためて、念仏申します。南無阿弥陀仏

 

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Hさんの話

2007年04月06日 | 雑感
 現実世界に戻ってから、するべき事が山積み。
 まず、境内の草取り。かなり目立ってきた・・・間もなく役員会、門徒総会と続くのに・・・
 でも、私ってホント幸せ者です。 一昨日、昨日と2日間、総代さんM・S氏が来てくださって、一緒に作業。見事にきれいになりました。

 次は、お彼岸の法座にも、庫裏にも顔を出してくださらなかったご門徒さん宅へ、門徒総会の案内状と共に拙著を郵送する袋詰め、宛名貼り。これは1人で黙々と作業。居間は足の踏み場もない散乱状態。それを郵便局へドサッと運び入れて、完了。
 今度はお世話役の総代さんがおられる周辺地区へ案内状配布依頼へ持参。行った先々で、奥さん方と立ち話になるので、結構時間がかかる。(おしゃべりは楽しい
 門徒総会の案内状と拙著の配布完了して、一息です。

 
 さて、法専寺の仏教婦人会には、ご厚意でご門徒外の女性も十数名入会していただいています。その方々にも拙著を差し上げました(押しつけました)

 その中のHさんのお話をご紹介。
 
 ちょうど、その日友達数人と話していて、仏壇の話になった。Hさんは二男さんで分家してから、誰も亡くなってはいないが、仏壇を安置されている。
 そのことを聞いたHさんの友人達が驚いたように「誰も死んでないのに、どうして仏壇おいているの」「誰も亡くなってないのに、仏壇なんか置いてたら、悪い霊が入ってくるんじゃないの」と全員がそう言われるので、Hさん、一瞬、不安になられたそうです。
 そんな思いで帰宅したら、ちょうど私の本がポストに入っていた。夕食の用意も忘れて読み、「私のしていることは、間違いなかったと安心しました」とHさん。

 よかったです。少しでも仏壇に対する誤解が解けていけば・・・


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桜満開の京都で 2

2007年04月05日 | 雑感
 京都東山区の次女のアパートに一泊した私。いつもだったら、本山のお晨朝(じんじょう・早朝のおつとめ・3月~10月は6:00、11月~2月は6:30から)にマジメに参拝するのですが、今回はあまりに疲れて(寝坊して)、パス。(おい、それでも僧侶かあ す、すみません・・・)
 その代わり近くの東山五条にある「大谷本廟」へ参拝。(親鸞聖人のお墓があり、同時に門信徒の納骨堂、墓地の廟所となっています)
 
 大谷本廟の桜も満開。桜の下の碑に、親鸞聖人が9才で詠まれたという有名な和歌が刻まれていました。

   明日ありと
   思う心のあだ桜
   夜半に嵐の吹かぬものかは

 親鸞聖人は9才で出家。得度のため、青蓮院(現・知恩院近くにある)の慈円和尚のもとを訪ねた時、もう日が暮れた後。
 「もう遅いから、得度の儀式は明日にしよう」と言われたのに対し、この和歌を詠んで、夜、その日のうちに得度されたのだそうです。

 このエピソードにちなんで、本願寺の得度式は、御影堂(ごえいどう・親鸞聖人の木像が安置)において、夕方、ろうそくの明かりだけが灯る、薄暗い本堂の中で厳かに行われます。
 感動の得度式からオバサン早、11年であります。何も成長、精進してないなあ・・・

 さて、大谷本廟にお参りして、自己満足した私は、清水や五条大橋の土手沿いを散歩。牛若丸と弁慶の像がある五条大橋ですが、五条通って国道1号線なのですね。

 歩き疲れた娘と私は五条大橋土手沿い、満開の桜並木の側におしゃれな喫茶店を見つけました。 お昼は予約しておいた近くの生麩の専門店で、生麩づくしの昼食。生麩が大好物の次女は大満足 (やはり、寺の娘は、精進料理が一番好きみたい)

 昼食後、娘と別れて、オバサンは帰路につき、現実・娑婆世界へ戻ってまいりました。
 京都の桜も、お料理も、なつかしい友人の笑顔も、姪と次女の楽しそうな笑い声も、全てが、おごちそうさまでした。 恵まれた、幸せな2日間でした。

 
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桜満開の京都で 1

2007年04月04日 | 雑感
 JR長崎本線 特急かもめ 佐賀発7:56発に乗車、8:35終点博多着で新幹線乗り場へ。(「佐賀」は、博多からスゴイ遠いイメージをお持ちでしょうが特急で40分弱なんですよ。ちなみに博多から長崎本線特急なら、どれ(長崎行き、佐世保・ハウステンボス行き)に乗っても佐賀に着きます。)
 
 博多で新幹線のぞみに乗り継いで京都に11:45着。前日から京都入りしていた大学友人Tさんが八条口で出迎えてくれて、一緒に同窓会会場へ。鴨川沿いの満開の桜に見とれつつ、しかし道路は大渋滞。(この季節京都はどこも人、人・・・)何とか間に合って到着。

 ああ、なつかしい顔、顔・・・名前はすぐに思い出せないけど名札を見て「そうだった・・・」と30年前の記憶が戻る。
 30数名の出席。70代になられた恩師もお変わりなくお若く。同級生も基本的な性格、雰囲気って全く変わっていない  

 自己紹介で「私がお寺に嫁いで、自分も僧侶の資格とった」と言ったら一同びっくり。厚かましい私は、ここでもしっかり、本とブログの宣伝をしてまいりました。

 歓談の時、お寺の生活に興味津々の友人が質問ぜめ・・・(単に遊びに京都入りしたのでなく、布教に行ったことにしておこうっと

 この会のお世話をしていただいた幹事さん、大変でしたでしょう、ありがとうございました。おまけに会場にデジカメ置き忘れた私とそれを自分のだと勘違いして持ち帰ったNさん(私もNさんもオバサンのすることよねえ)の騒動にまで巻きこんで、ご迷惑おかけ致しました。お互い無事、自分のデジカメが戻ってよかった、よかった。

 さて、同窓会後、京都在住の娘、姪と四条河原町で待ち合わせ、夕食 暗くなって夜桜見物に。
 円山公園の幻想的なしだれ桜、こちらも見事な高台寺の桜を堪能して、ホント幸せ  
 
 先日の巡番報恩講でご講師のお話を思い出しました。
「桜を一番美しく見る方法
 それは、「これが自分の人生において見納めだと見る桜」だそうです。そうです。来年は、私はこの世になく、桜を見ることができないかもしれません。しっかり、目で、こころで、見てまいりました。

 こうして、夢のような長い京都の一日が終わりました。
 

 
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脱走

2007年04月03日 | 雑感
 オバサン、このお寺の一番忙しい時期、そして、先日、長女の引っ越し手伝いで上京したばかりというのに、また、佐賀を脱走、今度は上洛。

 先日、就職活動中の次女が佐賀の地銀・人事担当のオジサマにバカにされた○○大学・わが母校の同窓会です。(このブログを見ている大学友人が「失礼な話よね」と静かに怒っていましたよ~。)

 最初、同窓会のご案内いただいた時は、とても出席は無理だと思いました。でも・・・卒業以来初めての学科同期の同窓会。恩師もみえるとのこと。30年ぶりの再会・・・「う~うん、どうしよう」と迷いに迷ったあげく、「えい、職場放棄しちゃえ」と上洛を決意。おそるおそる夫に相談。いつも寛大なるご住職様に感謝でございます。

 寺に嫁いでから、「坊守(寺の主婦)はいつも留守を守る者」と、教えられ、極力外出を控えてきたつもりの私です。
 でも、数年前、幼なじみのTちゃんが突然亡くなったことで、私、少々考えを変えました。

 「諸行無常」と、頭ではわかっていても、Tちゃんの死は大変ショックだった。彼女にお世話になることばかりで、私は何もしてあげられなかった。私、同窓会にも寺を空けることに遠慮して、ずっとご無沙汰し、彼女とゆっくり話すこともないままだった・・・

 Tちゃんの死をきっかけに、お寺の留守番ももちろん大切だけど、私は私の人生を後悔しないように生きよう・・と思ったのでした。

 それから、私、時々はわがままして、「坊守」ならぬ「坊外」(坊害?)で生きようと開き直っております。いつ死んでも後悔しない生き方。

 ご門徒の皆様、もちろん、私的な外出は、たま~のことですから、許してくださいね。

 
 
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本願寺新報に

2007年04月02日 | 本紹介
 昨日ウチの組の巡番報恩講が修了いたしました。22日から5日間、K寺さん、中一日置いて、28日から昨日まで5日間、J寺さん。本当にお疲れ様でございました。2ヶ寺とも、すばらしい報恩講でした。
 お参りいただいた法専寺役員さん始め有志の方々に御礼申し上げます。さて、来年はウチですよ~。ご門徒皆さん、頑張りましょう

 さて、きょう届いた「本願寺新報」4月1日号見て、わーいわーい
「book 本」という新刊紹介のコーナーに拙著の紹介記事が載っていました
 先日、本願寺出版社・担当者の方から電話取材を受けたのですが、ボツにならずに掲載していただきました。 記事内容は、こうなっています。

 25年前、住職後継者の妻となった。一般家庭から寺院に入るまで仏教に無関心だった著者。寺院という別世界で戸惑いながらの聴聞は最初、必要に迫られたもので、「なにが浄土だ」「なにが救いだ」と、反感、疑問の学びだったという。しかし、長年の聴聞の繰り返しの中で、「実は自分のことを一番わかっていないのが自分自身」「『仏を知る』ということは、『自分を知る』ということ」に出逢っていったという。
 「仏教が大好きになった私」が、法事や葬儀で出会う門信徒へ「仏教に対する世間一般の誤解を解きたい、お寺に関する悪いイメージを払拭したい」と配布しているプリントを1冊にまとめた。「お寺は何のためにあるのですか?」「葬式はだれのため、何のためにするのですか?」「「仏教の教えとはどんな教えですか?」などをテーマに、日常会話のような文章で綴られる。

 このコーナで4冊紹介されている他3冊は、いずれも浄土真宗のお偉い先生方のご著書です。正統な先生方の中に異端者のオバサンの本を紹介していただいて、身に余る光栄であります。感謝。

 
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