映画「おかあさんの被爆ピアノ」を観た。
被爆したあとの広島では、被爆者に対する差別が酷かったらしい。差別は戦後も続き、被爆二世と呼ばれる被爆者の子どもたちにも及んだと言われている。知っている広島出身者は原爆について話したがらないし、有名な反戦歌である「原爆を許すまじ」や「死んだ男の残したものは」を歌いたがらない。原爆は街や人の生命だけでなく、人の心も破壊したのだ。
ピアノの調律師役の佐野史郎は名演だった。広島弁のイントネーションも完璧で、広島人らしい優しさと磊落さがとてもよく出ていた。穏やかな父母を演じた森口瑤子と宮川一朗太もよかった。特に森口瑤子は被爆二世が味わされた微妙な差別がうっすらと感じられ、嫌な思いをしたことを娘に伝えたくない母の気持ちが十分に伝わってきた。
ヒロインの武藤十夢がミスキャストである。演技が学芸会なのだ。この人が演じると主人公が二十歳とは思えないほど子供っぽく、穏やかな両親から生まれたとは思えないガサツな娘になってしまって、序盤から不愉快にされた。ピアノを弾くヒロインなら、もっと繊細な感受性を持っていなければならない。同じ台詞でも話し方次第で上品にも下品にもなる。当方がプロデューサーだったら、モトーラ世理奈をキャスティングしただろう。多分まったく違う作品になった筈だ。
それでもヒロインがおばあちゃんの被爆ピアノとそれに纏わる自分の家族の歴史に触れることで少しずつ気持ちが変わっていくさまは見て取れた。そして森口瑤子が演じた母親も、娘におばあちゃんの思い出を語ることで、長い間抱えてきた苦しみを溶かしていく。本作品の主眼はこの母娘の成長にある。タイトルが「おばあちゃんの被爆ピアノ」ではなく「おかあさんの被爆ピアノ」である理由もそこにあるのだ。佐野史郎の調律師と宮川一朗太の父親がそれを上手に優しくサポートし、物語は穏やかに進んでいく。ピアノを弾かせてほしいという学生たちのシーンは要らなかった。
被爆ピアノで弾かれる曲は冒頭の「アヴェ・マリア」にはじまり、滝廉太郎の「荒城の月」から野口雨情の童謡、それに「ゴンドラの唄」まで幅広く弾かれるが、なんと言ってもベートーヴェンである。特に「悲愴」が何度も繰り返されるが、少しも飽きない。昨秋にサントリーホールでピアニスト及川浩治さんのリサイタルを聞きに行ったが、五大ピアノソナタと「エリーゼのために」はいずれも高山流水というべき名演奏だった。そのときに聴いた「悲愴」がこれまで聴いた中で一番だったと思う。
ヒロインはともかく、人が優しさを獲得していくいい話を佐野史郎や森口瑤子の名演とベートーヴェンの曲に乗って観ることが出来たのはよかった。心がほっこりとする温かい作品である。