三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「The Professor」(邦題「グッバイ、リチャード!」)

2020年08月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「The Professor」(邦題「グッバイ、リチャード!」)を観た。
 いつ頃の話なのだろうか。携帯電話やスマホが登場しないから20世紀であることは間違いなさそうだ。主人公リチャードの愛車は多分80年代のベンツだから、その頃だと思う。
 ジョニー・デップはときどき目を瞠る演技をすることがある。「ツーリスト」や「トランセンデンス」の演技がそれだ。本作品の演技はそれらの作品にも増していい演技だったと思う。デップの魅力は不安定さにある。揺れ動く感情や愛憎、それに世界観。人間とはかくも危なっかしいものなのだなと、彼の演技を見て改めて思う。
 本作品は英文学の大学教授リチャードが肺癌で余命半年を宣言されるシーンから始まる。以降は大学教授とは思えないほどFuck!!を連発。作品の中で少なくとも100回は言ったのではないか。そして実際にFuckもしてしまう。それもゼミの最中でしかも店のトイレでしかもその日会ったばかりの店員が相手ときているから、もうぶっ飛んでいる。このあたりのジョニー・デップはとても楽しそうだ。
 品行方正の見た目をかなぐり捨て、これまで抑制していたことからすべてのブレーキを取り去って、何にでもチャレンジする。タバコもマリファナも浮気も、時には男色まで。そんなやりたい放題の生活の中で、迫る死を少しずつ受け入れていく。癌に蝕まれて徐々に身体の調子が悪くなっていくが、それも含めて世界は不条理で、しかし完璧だと喝破する。あたかもニーチェがこの世のすべてを肯定したようだ。
 英文学の学生たちには、文学は社会にとって大変に重要だと話し、世の中の98パーセントはクソみたいな連中で、文学をやる人間は孤独の道を歩むことになるが、それでも負けないで頑張って欲しいと鼓舞する。自分が鼓舞されたかったように学生を鼓舞するのだ。ジョニー・デップ渾身の演技である。
 ラストシーンはT字路だ。右に行くのか左に行くのか。しばし考える。果たしてリチャードの決断はどうだったのだろうか。次のシーンに驚かされる。ここでも世の中のルールを蹴飛ばすあたり、最後の最後まで破天荒を貫いたリチャードの矜持が垣間見える。見事な人生だ。
 邦題の「グッバイ、リチャード!」は軽すぎる感があり、原題の「The Professor」は固すぎる。作品の最後に出てきた文字「Richard says Goodby」がいい。邦題にすると「リチャードはさよならを言う」とか「リチャードの別れの言葉」といったことになるのだろうが、当方なら、手塚富雄翻訳のニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」に因んで「リチャードかく語りき」にしたい。またはレイモンド・チャンドラーの「The long goodbye」に因んで「リチャードの長いお別れ」でもいい。本当にずっとリチャードが語りつづけ、それが心地よく聞ける映画だった。