映画「わが青春つきるとも 伊藤千代子の生涯」を観た。
川平慈英ではないが、絶対に負けられない戦いがある。負けてもどうということのない川平慈英の戦いと違って、国家主義権力との戦いは、負けたら平和を失い、自由を失い、最後は命を失う。
古今東西、女性は常に虐げられてきた。選挙制度のある国で婦人参政権が認められたのは、ほとんどが20世紀に入ってからである。日本では戦争に負けて、マッカーサーの統治下での勅令によって、婦人参政権が認められている。政治運動家はたくさんいたが、権力者を倒したのはアメリカで、日本国民全員が民主主義に目覚めた訳ではないのだ。
だから未だに「英霊」などという言葉を使って国家に無駄に殺された兵隊を崇めている連中がいる。アホである。民主主義が技術を向上させて生活を豊かにしたのに、それが理解できずに国家主義を信奉している。アベシンゾウがその代表である。頭の悪い人間が国家主義者となるのである。
それにしても本作品の主人公である伊藤千代子は立派だ。立派すぎて涙が出る。治安維持法を振りかざして特高警察がやりたい放題の取締りと拷問をしている時代に、天皇制反対と戦争反対を堂々と主張する勇気に感服した。若さゆえの思い込みの激しさも手伝って、天皇による独裁政治にとことん反対する。本当の芯の強さを持つのは女性の方だ。
伊藤千代子の死(1929年)から100年近くが経って、世界は女性の活躍が目立つようになった。アンゲラ・メルケルのような優れた政治家も出現した。しかし安心はできない。国家主義は世界中に蔓延しつつある。融和と継続を求める民主主義に対して、国家主義は断絶と闘争に走る。国家主義では内心の自由さえ認められない。政治家や役人の言いなりになっていると、気がついたときには権利を奪われ、フィジカルもメンタルも国家に従属することになりかねない。
だから反戦はどんな時代でも主張し続けなければならない。第二次世界大戦が終わってからも、いまだに戦争映画が作り続けられるのは、国家主義に対する危機感からだ。本作品もその系列にあると思う。伊藤千代子の理想と危機感は、共有しなければならない。
日本が国家主義に陥る危険はとても大きい。それは太平洋戦争の時代に逆戻りとなることだ。時代がどんなに平和に見えても、国家主義者たちは国民の権利を蹂躙する機会を伺っている。国家主義には絶対に負けられない。
井上百合子の演技は悪くなかった。女工たちに悲壮感がなかったのは、敢えてそういう演出にしたのだと思う。後半の苦しい描写にそなえて、前半は努めて明るい雰囲気で、伊藤千代子の幸せだった時間を伝えたかったのだろう。心に残る作品である。