三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「教育と愛国」

2022年05月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「教育と愛国」を観た。
映画『教育と愛国』公式WEBサイト

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知ってほしい 教科書で“いま”何が起きているのかを――2017年度ギャラクシー賞・大賞を受賞した話題作が、追加取材を加えついに映画化!2022年5月13日(金)よりヒューマントラ...

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 随分と控えめな内容だったというのが第一印象である。井浦新の滑舌のいい落ち着いたナレーションが教育現場の危機を淡々と伝える。

 第二次大戦中に日本軍が行なったことをきちんと教えることは、戦争を反省する上で重要なことだ。戦争は兵隊の精神を破壊して理性を奪う。欲望のままに他国の女子供をレイプし、非武装の民間人を容赦なく殺す。従軍慰安婦や徴用工は実際にあったことである。もっと言えば、従軍慰安婦は病気になったり怪我をしたら捨てられるか殺されるかして、新しい従軍慰安婦が補充された。女性の使い捨てだ。まさに人権蹂躙だが、戦争というのはそれ自体が人権蹂躙であり、犯罪の正当化である。
 平時に人を殺せば殺人罪に問われるが、戦争で沢山の敵を殺せば英雄と呼ばれる。つまり英雄とは無慈悲な殺人者のことである。それを戦争の大義名分によって、罪人ではなく功労者だとするのが国家主義者だ。そして戦死者を英霊などと呼んで靖国神社に奉る。

 本作品に関連するドキュメンタリー映画で、当方が鑑賞した作品を紹介する。
 沖縄戦で沢山の民間人が自死したのは、陸軍中野学校出身の将校が住民を煽り、誘導したためである。その経緯は、映画「沖縄スパイ戦史」に描かれている。
 沖縄県民の7割以上が反対しているにも関わらず、強行されている米軍基地建設については、映画「戦場ぬ止み」に描かれている。
 従軍慰安婦の論争については、映画「主戦場」に描かれている。
 第二次大戦で日本軍(関東軍)が中国で行なった残虐行為については、映画「日本鬼子」に詳しく描かれている。
 安倍政権の悪行については、映画「新聞記者」に描かれている。

 本作品では、国家主義者が愛国心という錯覚を国民に強要するために教科書を改変しようとする経緯が詳しく紹介されている。「愛国心という錯覚」の意味は、たまたまそこで生まれたに過ぎない国を「祖国」や「母国」などと呼んで、あたかも「自分の国」であるかのように錯覚するということだ。

 本作品の骨子は、日本学術会議の任命から外された6人のひとりである岡田正則教授の「世界はグローバル化していて、国民や国家という概念が意味を成さなくなっている」という言葉に集約される。人間は自由な選択をすることができる。どこに住むこともできるし、住んでいる場所を愛するかどうかについても、その人の自由である。

 日本の義務教育には日本国憲法の時間割がない。日本国憲法には、国民主権や法の下の平等、基本的人権の尊重や平和主義など、なるべく早い段階で子供に教えたい内容が満載である。映画「誰がために憲法はある」では、新しい憲法ができて、日本国民はこれからは戦争のためではなく平和のために生きていける、国のためではなく自分たちのために生きていけると喜んだことが紹介されている。日本国憲法の時間割がないのは、国家主義者にとっては教えられて困る内容ばかりだからに違いない。
 個人の幸福追求の権利を捨てて、国家のために死ねる人間を作りたいのが国家主義者だ。日本国憲法の理念が戦後の日本の発展につながったことを理解していない。不自由な状況では人間はポテンシャルを発揮できない。小泉政権から安倍政権に至る国家主義教育で日本の産業や技術がどれほど衰退したかを考えれば、国家主義が経済的にも国を滅ぼすことは明らかだ。
 一日でも早く、日本国憲法の時間割を義務教育に設けなければならない。家庭でも、絵本と一緒に憲法も読み聞かせてほしい。子供に条文を説明することで、大人も憲法についての認識を新たにするだろう。

映画「シン・ウルトラマン」

2022年05月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シン・ウルトラマン」を観た。
映画『シン・ウルトラマン』公式サイト

映画『シン・ウルトラマン』公式サイト

『シン・ゴジラ』の製作陣が、あの“ウルトラマン”を描く。混迷の時代に生きるすべての日本人に贈る、エンターテインメント超大作。大ヒット上映中

映画『シン・ウルトラマン』公式サイト

 映画「シン・ゴジラ」を鑑賞したときのような感動を期待したが、何故かしら、何も感じなかった。樋口真嗣監督と庵野秀明さんのコンビは同じなのに、本作品には「シン・ゴジラ」にあった重厚感がない。ずっしりした革ジャンとペラペラのウインドブレーカーくらいの差がある。
「シン・ゴジラ」で唯一違和感を感じたのは米大統領の特使カヨコを演じた石原さとみである。演技がどうのというよりも、若すぎたのだ。カヨコ以外は、長谷川博己が演じた主役の矢口蘭堂官房副長官をはじめ、それぞれに人間的な深みがある役だった。そしてカヨコも矢口蘭堂との関わりの中で、不安や恐怖を吐露し始め、骨太な人間ドラマとしての作品を支えることになる。

 本作品で長澤まさみが演じた浅見弘子がカヨコに似ていた。しかしカヨコが次第に世界情勢が絡む問題の本質を理解し始めるのに対し、浅見弘子はずっと同じノリである。人間的に軽いままなのだ。その軽さが、本作品そのものの軽さとなってしまった。
 主演の斎藤工や有岡大貴、早見あかりはそれなりに頑張っていたが、いかんせん浅見弘子の軽さをカバーするまでにはいかなかった。長澤まさみはスタイルのよさが取り柄みたいな変な展開には違和感しかない。
 もしかしたらギャグ映画だったのかと、はっと気づいた。ウルトラマンと宇宙人が日本の居酒屋で交渉をしたり、宇宙人と総理大臣が書面の覚書を交わしたりするのは、たしかにギャグだ。であれば、長澤まさみのアホなシーンも頷ける。本作品は壮大なスラップスティックなのだ。