映画「ヴィーガンズ・ハム」を観た。
昭和時代に一世を風靡したエロ・グロ・ナンセンスという文化的な風潮があった。昭和初期が代表的だが、戦後でも大島渚監督の「愛のコリーダ」のような作品がある。
現代はモラルに厳しい時代で、エロ・グロ・ナンセンスの表現には眉を顰める傾向がある。小さなことでも他人を批判し、時には罵詈雑言を浴びせる。自分で考えた価値観で人を叩くならまだマシだが、正論や大義名分といった社会のパラダイムで他人を叩くのは最低だ。それは村八分やいじめの精神性と同じなのだ。SNSがもたらしたのは自由よりも不自由である。過激な表現は自粛されるようになってしまった。
しかしエロ・グロ・ナンセンスには、既成の価値観をひっくり返すようなパワーとエネルギーがある。それは人間の本質、欲望と憎悪と悪意を見せつけて、底の浅いきれいごとを嘲笑するからだ。
本作品はエロ・グロ・ナンセンスが満載のシニカルなドラマである。その攻撃の対象は、ヴィーガンというそもそも矛盾を孕んだ考え方だけでなく、肉を食いたくないならフランスから出て行けと主張する肥満体の男性、捜査よりも肉の食べ方ばかり気にしている警官、安い肉を注射で加工して高く販売している食肉業者など、全方位に及ぶ。もちろん主人公たちも例外ではない。
日本人が魚を見ると美味しそうだと思うように、知人の中国人は牛を見ると美味しそうだと思うと言っていた。人間を見て美味しそうだと思っても不思議ではない。
一般に肉食獣の肉は美味しくないとされている。人間の食用になるのは牛や馬や豚や鶏などの草食系の家畜である。主人公のパスカル夫妻は肉屋だ。肉食の人間よりも草食の人間の肉のほうが美味しいと考えるのは当然である。この発想が既に面白い。
大手の肉屋を営む知人との関係性や、妻ソフィーが見ているテレビの猟奇殺人鬼の紹介番組とのシンクロなど、構成がとてもよく出来ている。最初は恐怖や良心が邪魔をするが、慣れてきたら楽しんで材料調達ができるようになるのもリアルだ。習うより慣れろである。肉食の人間の耳はやっぱり不味かったみたいで、ペッペッと吐き出していたのが笑える。
原題は「バーベキュー」で何のことかわからないが、邦題の「ヴィーガンズ・ハム」は秀逸。映画の内容をひと言で表現できている。場合によってはフランスの制作陣に伝わって、副題にでもなるかもしれない。久しぶりに優れた邦題にお目にかかった。