映画「グッド・ナース」を観た。
Netflix『グッド・ナース』映画館で公開!
一部劇場にて10月21日(金)劇場公開!実話に基づいた手に汗握るサスペンス「グッド・ナース」の監督を務めるのは、アカデミー賞ノミネート監督のトビアス・リンホルム。
Netflix『グッド・ナース』
心の闇という言い方がある。人には言えない妄想や内に秘めた悪意のことで、このふたつは往々にして重複する。
心に闇を抱える人は、にこやかで人当たりがいいことが多いと思う。心の闇を隠すために善良なふりをするのだ。しかしそれは自己欺瞞そのものであり、長く続けると精神をおかしくする。
おかしくならないために、悪意や妄想を少しずつ発散する。精神は行動に大きく影響されるから、大声を出したり激しく体を動かしたりゲームをしたり、または静かに本を読んだりする。本は想像力をフル稼働させるから、場合によっては全力疾走よりも効果がある。
最近はSNSがあるので、そこに言いたい放題を書き込む人もいる。それも心の闇の解消だが、人によっては、赤の他人を酷く非難したり、罵詈讒謗の言葉を浴びせたりする。悪口は自分に跳ね返ってくるから、どれほどたくさんの悪口をアップしても、満足することはない。
私生活が重要なのは、それが精神のバランスを取る時間だからである。しかし私生活でも束縛されたり存在を蔑ろにされたりすると、バランスの取りようがない。そうなると心の闇を溜め込む一方になる。いつか犯罪を犯す可能性がある。カウントダウンがはじまる。
本作品では心の闇を解消しきれない人物が登場する。人当たりがよくて親切だから誰も疑わないが、密かに悪意を実行している。そしてその行為によって、人当たりがよくて親切な表面を取り繕うための精神的なバランスを取っている。終わりのない無限地獄だ。
ジェシカ・チャスティンが演じたヒロインのエイミーの心に戦慄が走ったのも無理はない。もしかしたら多数の患者を殺しているかもしれない男と丸腰で対峙するのは、腕力の弱い女性にとって恐怖であり、なんとか知恵を絞ってその場を切り抜けなければならない。エイミーの恐怖と決意をチャスティンは見事に演じきった。
ドストエフスキーの小説「罪と罰」では、やはり心の闇を抱えた主人公ラスコリニコフが、独善的な利己主義を正当化して、強欲な金貸しの老婆を殺す。新約聖書では金貸しと収税吏は人間の屑みたいな扱いだが、だからといって殺していい訳ではない。悔い改めればいいことになっている。小説が書かれた当時のロシアは社会の歪みが貧しい人にのしかかっていた。
どうして人を殺してはいけないのかについては、他の作品のレビューに書いたので割愛するが、今も昔も、社会の歪みは格差や差別として具現化され続け、結局のところ弱い人や貧しい人にすべての負担が集中している。心の闇を肥大させる人は多い。
どれほどの心の闇を抱えていても、殺人に至るには大きなハードルがある。良心という名のパラダイムがあるからだ。しかしハードルを下げる方法がある。見つからないように、小さな罪を重ねていくのだ。だんだん慣れていき、最後は平気で人を殺せるようになる。習うより慣れろという諺は常に正しい。
そうやって慣れてしまった人間にはもはや良心のタブーはない。恐ろしい話だ。共同体に食い止める義務があるが、どこの国も十分にその義務を果たしているとは言えない。かくして、心の闇を肥大させた殺人鬼予備軍が世の中に溢れることになる。勤務先にいるかもしれないし、家庭内にいるかもしれない。事件が起きるまで、誰にも分からない。