映画「夜明けまでバス停で」を観た。
「一度くらいちゃんと逆らってみたいんです」
この言葉にヒロイン北林三知子のこれまでの人生と現在の心情が集約されている。生まれてこのかた、大体は長い物に巻かれて生きてきた。ときどき小さな抵抗を試みたりもしたが、すぐに諦めた。そんな中途半端な生き方が、いまの有様に繋がっているとすれば、せめて少しは変わりたい。
「明日こそ目が覚めませんように」
ホームレスの老人はそう祈りながら今夜の床に就く。彼の人生が悲惨だったと決めつけることはできないが、歳を取って好きなことをする気力も金もない状況は、幸福とは言い難い。三知子は彼の言葉に自分の行く末を重ねてしまう。
「間尺に合わない」
柄本明の元過激派のホームレスは溜め息をつく。ベトナム戦争の特需で儲けた日本は、他国の国民の血の上に繁栄を築いた。元過激派は、日本人の反省のなさが許せない。出所後は手記を出版したり、全国で講演したりして稼ぐ手立てもあっただろうに、彼はホームレスの生き方を選んでいる。その真意は三知子には分からない。
住み込みの仕事は、住居と収入の両方を企業に頼っているだけに、退職したり解雇されたりしたときのダメージが大きい。いざという時にアパートの小さな部屋でも借りれるように、100万円くらいの預金はあった方がいい。入社して自宅を引き払って社宅に引っ越したあと、間もなくその会社がブラック企業だとわかっても、預金がないとすぐには退職できない。
ちなみに三知子たちに支給されたはずのそれぞれ30万円の退職金は、解雇予告手当である。時給1,250円で8時間働くと10,000円の日給になる。解雇予告手当は30日分を支払うから、概算は合っている。本当はそこから所得税を控除しなければならないのだが、ストーリーとして概算のまま支払った形だ。あとは本人たちが確定申告をすればいい。ブラック企業がやりそうな話ではある。ただし今どき手渡しはあり得ない。それもストーリーの都合だと思う。
ちなみに三知子たちに支給されたはずのそれぞれ30万円の退職金は、解雇予告手当である。時給1,250円で8時間働くと10,000円の日給になる。解雇予告手当は30日分を支払うから、概算は合っている。本当はそこから所得税を控除しなければならないのだが、ストーリーとして概算のまま支払った形だ。あとは本人たちが確定申告をすればいい。ブラック企業がやりそうな話ではある。ただし今どき手渡しはあり得ない。それもストーリーの都合だと思う。
ブラックな組織で人格を蹂躙された状態で生活していると、精神が病んでくる。逆らうか、逃げるかだが、逆らうのには強気とエネルギーが要る。気の弱い人は逃げるのがいいが、カネがないと逃げるに逃げられない。
本作品は自民党政権に対するアンチテーゼを前面に出している。菅義偉が「自助共助公助」という言葉を使って国は困った人を助けるつもりがないことを堂々と表明した所信表明演説や、アベシンゾーのモリカケサクラ事件と「こんな人たち」発言を取り上げている。
東京都も国も、困った人達を助けるよりもオリンピックに金を使うことに余念がない。家もない、テレビもない三知子にとって、オリンピックは無関係だし、税金の無駄遣いとしか思えない。
柄本明は正面から政権を批判するこの役をよく引き受けたと思う。テレビドラマ「半沢直樹」で与党の幹事長役を演じたことを考えると、流石の演技の幅である。
映画「岬の兄妹」で兄の役を怪演した松浦祐也が本作品で演じたのは、貧しいネトウヨである。世の中から蹂躙されてきたはずなのに、世の中に逆らうのではなく、不満の矛先を反体制的な人たちに向け、怒りを弱い人にぶつける。実はこれはネトウヨの人々の精神性そのものなのだ。同調圧力に乗っかるだけで生きている。救いようがない。
同調圧力が強い日本の社会では、三知子のように長いものに巻かれて生きている人が多いと思う。逆らってもしょうがないし、変えられない条件だと仮定して、その上でできることをすればいいという考え方は、一見前向きに見えるかもしれないが、実は諦めた生き方である。
状況は変えられる、社会はよくすることができると考えなければ、この先も多くの人が三知子のように路頭に迷うだろう。「一度くらいちゃんと逆らってみたい」と、多くの人に思ってほしい。