映画「耳をすませば」を観た。
雫が公衆電話で聖司くんに電話したときの清野菜名の表情がいい。心の霧が晴れたような、清々しい顔だ。このシーンは清野菜名の女優人生の中でも一番いい表情のひとつになると思う。
思い出は心の自浄作用でいつも美しい。特に青春のピークである15歳から19歳の頃の思い出は、振り返るたびに美化され、ほろ苦い記憶さえも懐かしくなる。
阿久悠は青春をよく歌にした。
「青春時代」の歌詞
青春時代の真ん中は胸にトゲ刺すことばかり
「過ぎてしまえば」の歌詞
過ぎてしまえばみな美しい
社会人の雫の悩みも、いつか笑い話になるだろう。それも人生の真実だ。夢を諦めるとか諦めないとかいう言葉は、若い雫には荷が重すぎる。なるべく好きなことをする。その程度でいい。しなければならないことなど人生にはない。
生きていくには自分の好きなことではなく、自分に出来ることをするしかない。仕事は好きでないことが多いが、作業興奮という言葉もある。始めてみたら楽しかったということも、よくある話だ。食べることや寝ることも含めて、人間の楽しみは行動にあるから、仕事がうまくいったときの達成感も人生の楽しみのひとつかもしれない。
しかし仕事は結局のところ、生きていくための術にすぎない。好きなことを仕事にできればいいのだが、そういう人は100人に1人もいないだろう。仕事だけが楽しみの人は、仕事をやめたら自分を失ってしまうかもしれない。好きなことをするのは自分を保つことでもある。
雫と聖司くんのプラトニックな関係は、ピュアすぎて溜め息が出る。子供の頃を思い出して、なにやらこそばゆい気持ちにもなる。格差社会のギスギス感が蔓延している世の中だ。たまにはこういう純愛物語を鑑賞して、登場人物の美しい心に接するのも悪くない。水に落ちる雫の映像が雫の心情を象徴していて、次はいつ出てくるのかとちょっとワクワクした。
「翼をください」は、山本潤子のしっとりとした歌声が好きだが、清野菜名の真っ直ぐな歌い方も、杏の歌も悪くない。名曲は年月を経ても、色褪せることはないのだ。