三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「駒田蒸留所へようこそ」

2023年11月15日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「駒田蒸留所へようこそ」を観た。
映画『駒田蒸留所へようこそ』公式サイト

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崖っぷち蒸留所の再起に奮闘する、若き女社長が、家族の絆をつなぐ”幻のウイスキー”復活を目指す、P.A. WORKS「お仕事シリーズ」初のオリジナル長編アニメーション!大ヒッ...

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 なんだか嫌な感じだ。

 休日の前日に仕事の約束を押し付けるのはブラックである。大事な私用があってもキャンセルを強制される。レクチャーもブリーフィングもなしで、初めての現場に行かせるのは、昭和のセールスマンが無理矢理にやらされていた飛び込み営業と同じだ。転職回数で社員を差別するのは人権侵害である。
 ヒロインとその女友達の行動もおかしい。仕事ができないことで人格否定をしたり、不快な言葉を言われると相手を殴る。もはや暴走族と変わらない。レディースのカタギ版だ。

 全体のプロットにも違和感がある。組織の存続のために個を捨てたのが立派であるかのような描き方は、お国のために死んでいった若者たちを英霊と讃えるのと同じモチーフだ。誤解を恐れずに言えば、本作品に通底するのは、ある種のファシズムである。
 家族のいちばんよかった頃を思い描いて、あの頃を取り戻したいと願うのも、気持ちが悪い。射殺されたどこぞの元総理大臣が「美しいニッポンをトリモロス」とテレビで言っていたのが思い出される。同じ精神性だ。
 若い記者の成長物語にも無理がある。物語にリアリティがなくなってしまった。そもそもそんな成長物語をねじ込まなければならないほど、内容がない物語だということだ。通俗的で薄っぺらで、しかもファシズムの匂いがする。嫌な感じは、いまだに消えない。

映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」

2023年11月15日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」を観た。
映画『ぼくは君たちを憎まないことにした』公式サイト

映画『ぼくは君たちを憎まないことにした』公式サイト

最愛の妻を奪われた男と生後17ヶ月の息子。悲しみと希望を詩情豊かに綴る感動の実話。11月10日(金)TOHOシネマズシャンテほか全国公開

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 2015年11月のダーイッシュ(ISIS)によるパリ連続テロは、130名の犠牲者を出した。特に酷かったのが、パリ中心街にあるライブハウスBataclanで、ハードロックのコンサートの最中に80名が殺された。その中には、本作品の主人公で原作者のアントワーヌ・レリスの妻エレーヌも含まれていた。
 
 鑑賞する前は、アントワーヌがテロで妻を亡くしたあと、様々な紆余曲折を経て、タイトルの心境に至る物語かなと思っていた。ある意味で人が悟りを得る話だから、かなりの力業が必要になる。どんなふうに纏めるのかと訝っていた。しかし原作を読んでいたらそんな杞憂は不要だった。
 タイトルの言葉はアントワーヌの心境ではなく、覚悟を述べたものである。流石は文筆家だ。戦う武器は言葉だけだが、相手は不寛容だけではなく、自分とも言葉で戦う。ある意味で、自分に向けての宣言でもあった。妻のいないこれからの人生を、憎しみだけで過ごしたくないのだ。
 それは息子メルヴィルのためでもある。憎しみの感情が支配する人間になってほしくない。それはダーイッシュの精神性と同じだからだ。
 アントワーヌは、妻の死後、やたらにタバコを吸い、ポイ捨てする。それはこの人が必ずしも聖人君子でも遵法精神に富んでいる訳でもないことを示唆したかったのだろうが、タバコを吸わせるよりも、そのときどきの心境を表情で演じさせたほうがよかった。そのほうがピエール・ドゥラドンシャンのポテンシャルがより発揮できたと思う。
 恨みは、晴れることがない。恨まないためには、忘れるしかない。理不尽な目に遭ったら、忘れることができず、一生恨み続けることになる。しかし憎しみはやがて薄れていく。恨みと憎しみは違うのだ。
 誰もが理不尽な目に遭う。憎しみの感情は生活を否定的にしてしまう。だから人を憎まない。憎まないためには相当な覚悟が必要だが、憎まないようにしていけば、憎しみは早く薄れていく。では恨みはどうか。晴れることはないが、意識的に矮小化することはできる。
 過去は記憶の中にしか存在せず、未来は想像力と不安と恐怖が生み出すイリュージョンだ。現実に存在するのは現在だけで、しかも常に変化し続ける。人生は幸せと不幸せのまだら模様だと思えば、忌まわしい過去の記憶も、未来の不安と恐怖も、恐れることはない。
 自分も含めた人類全体を矮小化すれば、恨みは記憶の彼方に消え去るだろうが、それは簡単ではない。いつか真に聡明な知恵が降りてきて、過去も現在も未来も、存在しないのと同じだと悟れば、愚かな人類を恨むこともないかもしれない。

映画「正欲」

2023年11月12日 | 映画・舞台・コンサート
映画「正欲」を観た。
正欲 : 作品情報 - 映画.com

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正欲の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。「あ...

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 2016年公開の映画「何者」と同じ、朝井リョウの原作である。本作品でも同じように既存の価値観と自分のそれとの乖離に悩む人間たちがテーマだ。
 対極にある世間の代表として、稲垣吾郎の検事を登場させる。自分の想像力の及ばない範囲は、理解しようとせずに頭から否定する。スクエアという表現がピッタリの人間だが、ラストシーンに向けて、若干のナイーブな面を持たなければいけない。その演出にかなり苦労した様子が窺われる。ただ、こんなにブレるようなら、ラストシーンを変えて、最初から最後までゴリゴリのスクエアな人間で通してもよかった。

 価値観の乖離にも幾つか種類があって、学校に行くことに抵抗があって、自宅で学ぼうとする子どもたち、既にユーチューバーとしてアフィリエイトで割と稼いでいる小学生がお手本だ。それにLGBTQの権利を求めてデモ行進する人々。謂わば、世間とは乖離してはいるが、肯定的な価値観の人々だ。
 しかし本作品の主眼は、別の価値観である。それは否定の価値観だ。人生に意味はない。世界に意味はない。しかしそれを主張したくもないし、他の人々を否定したくもない。なにより他人と争いたくない。世間とは価値観が異なるとはいっても、自分を肯定する価値観の人々とは、一線を画している。
 子供は可愛くない。どうせすぐに嫌な大人になる。結婚は幸せの形ではない。3組に1組は離婚するのだ。誕生日はめでたくない。死に一歩近づいただけでなく、頭や体が不自由になる日に近づいている道標なのだ。どうして世間は何でもかんでも肯定するのを是とするのだろう。
 子供に、人生に意味はない、世の中に絶対はなく、すべてが相対的だと教える人は滅多にいない。未来のある子どもたちに否定的なことを教えるのはよくないという世間の価値観がある。しかし、みずから悟る子供もいる。若いニヒリストの誕生だ。

 世間はニヒリズムに対して寛容ではない。肯定は肯定されるが、否定は肯定されないのだ。肯定的な人々が肯定的に作り上げた文明世界である。世界を否定するのは人間を否定し、歴史を否定し、人類を否定することだ。断じて認められない。自殺も認めない。それが世間である。
 世の中に絶対がないことに気づく聡明な子供は、世間の価値観には大人しく従う態度を見せるしかないことを知っている。世の中はすべて馬鹿と阿呆の絡み合いだと思っていても、それは口にも顔にも出さない。大人になってもその姿勢は崩さない。生活にも仕事にも支障があるからだ。
 そういう人は、実は多いのではないかと思っている。しかし誰も表に出さないから、数えようがない。本作品で磯村勇斗と新垣結衣が演じた役柄の精神性に共感できる人は、隠れニヒリストと言えるだろう。その意味で、センセーショナルな作品となるかもしれない。

 磯村勇斗は凄くよかった。この人の役柄の掴み方と演じ方には、天性のものがある。新垣結衣は元気で肯定的な役が多い印象だが、今回は三白眼で睨みつける。ニヒリストとして人生をやり過ごす生き方に、やや迷いがあるところもいい。カメラワークも演出も見事で、かなり心を揺さぶられるものがあった。

映画「火の鳥 エデンの花」

2023年11月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「火の鳥 エデンの花」を観た。

 兎に角、手塚治虫の壮大な世界観に圧倒される。登場人物は賢い女性たちと、愚かな男たちだ。女性たちは現実を受け入れ、男たちは他人と自分を比較し、現実を否定して欲しいものを手に入れようと、互いに争う。戦争も環境破壊も、常に男たちの欲望に由来するのだ。そして自業自得で世界を滅ぼし、それでも人類の存続に執着する。
 女たちは、自己複製のシステムという生命の本質に従って、子供を産む。かつて恐竜が絶滅したように、人類も絶滅するのは必然だ。それでも子供を産む。人はそれほど長いスパンでものを考えない。希望も絶望も、自分が生きている数十年、せいぜい100年の間のことだ。10万年前のことを後悔したり、5万年後のことに絶望したりしない。子供も同じだろう。

 故郷という幻想は誰にでもある。それは祖国という幻想に結びついて、共同体同士の争いの動機になる。ロミの故郷は、地球なのかエデンなのか。
 エデンというネーミングから、手塚治虫が旧約聖書を意識していたことは明らかだ。アダムとイブの物語を、宇宙規模で再現してみせた。人類のはじまりと終わり。終末は常に男たちがもたらす。
 地球と同じように、エデンにもいつか終わりが来るだろう。ズダーバンは蛇だ。ロミには分かっている。それでも再びイブになる。壊すことは創ること。終わりがあれば、次のはじまりがある。生命は自己複製のシステムだ。絶滅するその日まで、子供を産みつづける。

 相対性理論の双子のパラドックスが紹介されているところから、手塚治虫は宇宙旅行について、相当調べたのだろう。火の鳥の最後の発表は1986年で、ホーキング博士の宇宙論が出版されたのが1988年だから、宇宙の膨張と収縮について触れられなかったのが少し残念だ。

 希望や絶望や後悔は人の一生にほぼ等しい期間に限られる。しかし人間の想像力の時間軸はどこまでも延びていく。ホーキングの想像力は、150億年前の宇宙や、150億年後の宇宙まで及ぶ。理論が数式で記述されているので、当方に理解できないのが非常に残念だが、手塚治虫なら、さらに広大な宇宙の時空間を舞台に、人間の物語を紡いでくれたかもしれない。
 死んで花になるなら、花の惑星はエデンの次の姿かもしれない。手塚治虫の想像力は時間軸を自由に飛び回る。土の恐竜は、ジュラ紀の遺伝子が地殻に受け継がれた証だろうか。

 宮沢りえは、少し前に公開された主演映画「月」ではなくて、声優を務めたこちらの作品ばかり宣伝していた。ちょっと不思議に思っていたのだが、本作品の鑑賞後には、その理由が分かる気がした。

映画「法廷遊戯」

2023年11月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「法廷遊戯」を観た。
映画『法廷遊戯』公式サイト

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誰も暴いてはいけない、死の秘密 ―― 主演:永瀬廉(King & Prince)/出演:杉咲花、北村匠海。映画『法廷遊戯』大ヒット上映中!

映画『法廷遊戯』公式サイト

 永瀬廉が演じる主人公は、清義と書いてキヨヨシという名前だが、北村匠海のカオルはセイギと呼ぶ。セイギは正義に通じる。カオル一流の皮肉だろう。

 はじめに無辜という言葉の概念について説明があるように、概念を問い直す作品である。冤罪と無罪の違いは何か。正義とは、国家権力とは何か。
 そういった問いかけに並行して、カオルの遠大な計画が進んでいく。無辜ゲームにはじまる、他人の誘導計画だ。カオルをロースクール在学中に司法試験に合格した秀才に設定したのは、緻密な計画を立案し実行するには、それだけの明晰な頭脳が必要だからである。
 ストーリーは人間関係が複雑に絡む中で、万引きみたいなレベルの悪意によって展開する。そして、悪意に法律の鎧を着せる。自分を守るのだ。そのために必死で勉強する。もはや無辜ではない。

 無実を勝ち取るのか、それとも無辜を目指すのか、岐路に立たされる主人公の、日常に根ざした決断が静かなシーンで過ぎていくところは、とてもリアルだ。97分という長さもいい。ともすればクドくなりがちなシーンをあっさりと演出しているのも潔い。
 杉咲花のミレイを含めて、ほぼ3人の心模様が中心で、クライマックスに向けてカオルの真意が明らかになっていく。そこにミレイの覚悟と、セイギの迷いが加わり、物語が立体的になっている。

 プロモーションでは、頭でっかちの青年たちが模擬裁判でエスカレートする物語みたいな印象だが、実際は質のいいヒューマンドラマだ。我々の誰ひとりとして、厳密に言えば無辜とは言えないのではないかと自問させる、奥深い作品となっている。面白かった。

映画「ザ・キラー」

2023年11月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・キラー」を観た。
Netflix『ザ・キラー』

Netflix『ザ・キラー』

一部劇場にて10月27日(金)映画公開!監督 デヴィッド・フィンチャー&主演 マイケル・ファスベンダーによる、 背筋どころか全身が“凍結”するサイコサスペンス・スリラ...

シネマラインナップ

 フレデリック・フォーサイスの小説「ジャッカルの日」を彷彿させる作品である。同小説は映画化されていて、ストーリー展開は緩やかだが、暗殺者ジャッカルがシャルル・ド・ゴール大統領の殺害計画を綿密に立案して着実に実行する様子が、緊迫感たっぷりで描かれていた。
 本作品は「ジャッカルの日」の公開からちょうど50年後の作品で、冷徹になろうと努力する殺し屋が、ジャッカルのように着実に手順を踏みながら仕事を実行する様子が描かれるが、展開はだいぶスピーディだし、電子機器が多く登場して、時代の変化を実感させてくれる。
 しかし失敗の仕方はよく似ている。人の動きは予測がつかない場合がある。狙撃銃は命中精度を落とさないために連射が出来ない仕様になっている。次の弾丸を準備する数秒の間に標的は逃げてしまうのだ。だから狙撃は一発必中なのだ。一発で仕留めるために何日でも待機する。暗殺者にもっとも必要な資質は、じっと待てることである。そしてもっとも不向きなのは、感情に左右されることだ。

 本作品の主人公は、面白いことに両方の資質を持っている。並外れた能力で、これまでは成功率10割を収めてきたが、たった一度、ジャッカルと同じ失敗をすることで、クライアントから消されようとされてしまう。大切なものを傷つけられることで、感情が爆発する。しかし生来の暗殺者としての訓練により、衝動的になることはない。まずは状況を把握することだ。
 クライアントが失敗した暗殺者を消しにかかることは、まずない。誰かがけしかけたのだ。それは周旋係に違いない。案の定だった。その後は一本道だ。これまで稼いできた大金で万が一のために備えてきたアセット(資産)が役に立つ。何種類ものパスポート、クレジットカード、用具倉庫など、すべて使い捨てだ。
 そしてじっと待つことのできる資質は、ここでも発揮される。目的地には早めに到着する。周到に準備をして、ひたすら機会が訪れるのを待つ。

 マイケル・ファスベンダーは流石の演技力で、細かな表情ひとつで主人公の心の揺れと理性のせめぎあいを表現する。しかもその間も素早く的確に行動する。
 もっとも魅力的なターゲットを演じたのがティルダ・スウィントンで、これまでの作品ではどちらかと言えば寡黙で神秘的な役柄が多かったが、今回は饒舌な殺し屋を演じる。運命を受け入れる心の準備はしていたが、いざそのときが訪れると、どうしても動揺してしまう。しかし主人公に相手の事情は無関係だ。
 様々な状況での確実な仕事ぶりは、とても見ごたえがあった。

映画「まなみ100%」

2023年11月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「まなみ100%」を観た。

 先日鑑賞した「道で拾った女」と同じ、いまおかしんじ脚本である。日常的な台詞が目立つ脚本だが、シチュエーションによって、日常的な台詞を非日常的なものに変えようとする。
 本作品では「結婚しよう」である。様々な場面で同じ台詞を繰り返すことで、主人公の他人との距離の変化が明らかになる。同時に、主人公の依存体質も露呈する。
 まなみは、三つの台詞を繰り返す。
「君はやっぱりバカだね」
「本気じゃない」
「君は子供だ」
 まなみは、現実に対して、斜(はす)に構えて、いつでも逃げ出せるようにしている主人公の姿勢を見抜いているのだ。他人の人生を引き受ける覚悟もないのに、自分だけが他人に幸せにしてもらいたいという調子のよさは、無責任で欲張りな子供そのものだ。
 自分のことを一番わかってくれているのがまなみであると確信している主人公は、孫悟空のようにまなみの広大な手の平で自由になりたいと願っている。多分まなみのことを菩薩か何かと勘違いしているのだろう。
 しかしまなみは人間だ。悩みもあれば、好き嫌いもある。そして不安と恐怖もある。他人を簡単に包み込むことなどできはしない。
 主人公がそのことに気づくのに10年を要したのである。それで漸く、長かった青春に別れを告げることができた。そういう作品だと思う。

映画「かぞく」

2023年11月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「かぞく」を観た。
映画『かぞく』オフィシャルサイト

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吉沢亮 永瀬正敏 小栗旬 阿部進之介(登場順)豪華俳優陣4名が主演『 か ぞ く 』澤寛 監督デビュー作品、11月3日(金・祝) 公開決定

 さて困った。こういう互いに繋がりのないオムニバスは、行き当たりばったりのパッチワークみたいで、離れて眺めてみても、何も見えてこない。木を見ても森が見えない、森を見ても木が見えないという世界である。何も理解できないということで、放り投げる人もいるだろう。

 秋の天皇賞で1番人気の快速馬サイレンススズカが4角で故障したレースのラジオの実況が流れるから、時代はおよそ25年前だ。携帯電話は普及していたが、スマホはまだという時代だ。ただ時系列はそれぞれの家族ごとに前後している可能性もある。
 永瀬正敏が酒を飲んでいるバーのテレビが読み上げるニュースは、殺した女の話と、殺された夫や妻の話なのかもしれない。家族を亡くしてカネに困って、人生に詰んだ人々。喪失は新たな喪失を呼び、そして誰もいなくなる。
 悲劇だろうか。喜劇だろうか。ひとつだけ言えるのは、それでも人生は続くということだ。父を亡くしても、母を亡くしても、子どもたちは大きくなる。誰でも、死ぬまでは生きるのだ。雰囲気だけの作品だが、味わいはある。観ている間ずっと、人生の悲哀がさざ波のように押し寄せてくる。ずっと怪しく流れ続ける音楽が、ばら撒かれた紙切れみたいな作品を、うまくまとめていたと思う。

映画「Madeleine」(邦題「私がやりました」)

2023年11月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Madeleine」(邦題「私がやりました」)を観た。
映画『私がやりました』公式サイト

映画『私がやりました』公式サイト

フランソワ・オゾン監督最新作 映画『私がやりました』 2023年11月3日(金・祝)TOHOシネマズシャンテ他全国順次ロードショー

映画『私がやりました』公式サイト

 とても楽しいコメディだ。登場人物は単純化され、それぞれの役割をきちんと果たす。いかにもそれらしい台詞を饒舌に話す内に、それぞれの登場人物の人となりが浮かび上がってくるという手法は、コメディらしい、王道の演出だと思う。
 こういう演出に応えるためには、相当の演技力が要求されるはずだが、役者陣はいとも容易く役になりきっていて、フランスの俳優の層の厚さを感じさせる。みんな大したものだ。
 笑える場面がそこかしこに散りばめられていて、特に膀胱を病んでいる秘書官の、エスプリに富んだシニカルさには感心した。
 批判精神も忘れてはおらず、女性差別や貧富の格差、それにフランス革命の欺瞞まで、幅広く問題にして、しかも笑い飛ばす。権力に媚びない笑いは庶民の味方である。

映画「As bestas」(邦題「理想郷」)

2023年11月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「As bestas」(邦題「理想郷」)を観た。
映画『理想郷』公式サイト

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2023年11月3日(金・祝)Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下・シネマート新宿ほか全国順次公開 | 第35回東京国際映画祭3冠受賞!衝撃の心理スリラー

映画『理想郷』公式サイト

 スペインの男は馬を素手で倒して焼印を押して放つというテロップと共に、三人の男が馬を捕まえようとする冒頭のシーン。何の意味があるのかと訝っていた。それに原題の「As bestas」は野獣の意味合いだと思うが、どういう意図でタイトルにしたのかも分からなかった。
 夫のアントワーヌが登場すると、なんとなく理解できる気がした。100キロはありそうなガッチリした体格で、確かに抵抗力はありそうだ。

 スペインの風景は美しいが、夜は闇だ。それが不思議だった。こんなふうに街灯もビルの明かりもない開かれた場所は、晴れた日の夜は星が降るように見えるはずだが、どの夜も闇夜だった。
 アントワーヌが酒場で話す話は、酔っ払って彷徨って道端で寝てしまい、起きたら一面の星空だったという内容だ。なるほどと思った。美しい星空はその一度きりで、移り住んでからのアントワーヌの目に映るのは、闇夜だけなのだ。

 移住は簡単ではない。人間が地球は自分たちのものだと勘違いしているのと同様に、先祖代々同じ土地に住み続けている人々は、その土地が自分たちのものだと勘違いしている。
 移住者は彼らにとって、言うなればエイリアンだ。価値観は相容れず、恩恵よりも害悪をもたらしかねない。排除の衝動は自然に湧き上がる。

 アントワーヌとオルガが溺愛して育てた娘は、他人の気持ちが理解できない一元論者になってしまった。自分だけが正しくて、反対する者はみんな間違っていると主張し、牽強付会の理屈で自己弁護する。ヒトラーとそっくりだ。
 フランスの若者の一部が極右化しているニュースがあるが、多様性を認めない点で、娘の思想は既に極右である。娘は、周りの人の殆どは自分に賛成だという。自己正当化の発言だが、もし本当にその通りであるなら、フランスの極右化はかなり深刻だと言える。

 不自由な精神性に満ち満ちた作品である。登場人物に共通するのが、余裕のない苦しい生活をしているところだ。衣食足りて礼節を知るという諺は、ここでも正しい。余裕がないから利己主義になり、不寛容になる。
 人は誰でも明日のことを考え、不安になり、恐怖を覚える。イエスが「明日のことを思い患うな」と言ったのは、人間を不安と恐怖から解放するためだったが、二千年経っても、相変わらず人間は明日のことを汲々と思い悩んでいる。ヒトラーがつけ込んだのは、まさにそういうところだ。

 人間が不安と恐怖から解放されて、寛容な社会環境を確立する日は、永遠にやってこない。そんな気がする。