学者にそそのかされて失敗した例として、小選挙区制の導入とマニフェスト選挙の二つを挙げるべきだろう。このうちのマニフェスト選挙に深くコミットした政治学者に佐々木毅がいる。東大総長を務めたこともあるようだが、21世紀臨調の共同代表として世間に知られている。佐々木がマニフェストなる言葉を流行らせた張本人である。それだけに、民主党の応援団を買って出ていた。既得権益にしがみつく木っ端役人も批判されるべきだろうが、旗振り役であったにもかかわらず、責任をとろうとしない学者も糾弾されるべきだろう。改革、改革という言葉で、どれだけ国民は翻弄されたか分からないからだ。佐々木が書いたという『近代政治思想の誕生』(岩波新書)にはまいってしまった。何のことはない西洋の政治思想家の紹介でしかないからだ。笑ってしまうのは、ニッコロ・マキャヴェッリについて触れた文章である。「臣民に愛されるより恐れられよ」という有名な格律を解説している箇所を読んで、ついつい吹き出してしまった。「それは人間の本性に照らして絶対的に正しい」とコメントしているからだ。そして、「残忍な行為を絶対的に禁止するのではなく、目的、結果との関連で巧みにそれを用いることの必要性を説いている」としたり顔に述べているのである。マキャヴェッリと言えば、やはり花田清輝だろう。『復興期の精神』に収録されている「政談-マキャヴェリ」は読みごたえがある。佐々木のような常識論ではなく、「私個人としての考えでは、用心深くするよりも、むしろ断行したほうがいいと思う。由来、運命の神は女性なるが故に。すなわちかの女を支配下に置こうと思うならば、かの女を撲ったり、虐待したりすることが必要だ」というマキャヴェッリの『君主論』での一文を引き合いに出して、政治における思いっきりのよさを取り上げていたからだ。花田は単なる解説書ではなく、あくまでも人間をテーマにした。つまらない解説書を書く学者が、政治改革の旗振りをしたわけだから、日本の政治がよくなるはずがない。
←会津っぽに応援のクリックをお願いします。