上越市の越後高田に出かけてきた。戊辰戦争のクライマックスであった鶴ヶ城の攻防戦で、城の外で戦った会津藩士は、戦後になって越後高田に幽閉された。賊軍の汚名を着て、故郷を追い立てられたのである。今回の行き帰りは、その痛々しい姿を想像して、涙がこぼれるのを禁じえなかった。国が滅ぶというのは、まさしくそういうことなのである。鳩山政権が誕生して、この国はメチャクチャである。会津藩においては、責任を取って切腹するだけのつわものがいた。しかし、今の民主党政治においては、誰も責任をとろうとしない。こんなことでは、日本は滅亡するしかないだろう。このままの日本であり続けられると思っているとすれば、それは甘すぎる。敗れたとはいえ会津藩は、意地を貫いた。衆寡敵せずであっても、簡単には屈服しなかった。少年や婦女子までもが、鮮血に身を染めたのである。死んでまでも、墳墓の地を守ろうとして、次々と自刃したのである。だからこそ薩長は、会津藩の死者を冒涜することはできなかったのである。白虎隊を顕彰することになったのは、会津藩が卑怯者でなかったからだ。最終的には西軍の軍門に下ったとしても、一矢報いようとしたのである。勝ち目のない戦いでも、やらなくてはならないときがあるのだ。もはや日本人は、そうした武士の心も失ってしまったのではないか。リベラルぶった民主党政治は、あまりにも情けない。口舌の徒ではなく、国のために殉ずる日本人が、今何人いるかで、日本の未来が決まるのである。
←会津っぽに応援のクリックをお願いします。