草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

菅らの人災を隠すため四苦八苦している民主党政権を嗤う!

2012年03月03日 | 災害

 日本という国家は、もはや統治能力を失っているのではないか。福島第一原発事故が、菅直人首相らによる人災であることは、徐々に国民に浸透しつつある。水をかけるのではなく、砂をかけろ、とか言ったり、アメリカ軍の支援を断ったりで、官邸がメチャクチャであったことは、国民にとって不幸であった。ある時期から自衛隊も、民主党政権抜きに、アメリカ軍との連携によって、危機を乗り切ろうとしたのではないか。その失態が暴かれるのを、一番恐れているのが民主党政権ではないか。だからこそ、原発事故に関する政府機関が、議事録を作成できなかったのだろう。深刻な事態を沈静化させるには、海水をかけるしかなかったのに、それを中止させようとしたり、菅は常軌を逸していた。サヨクは脱原発を口にした菅をかばいたいようだが、必ず真実は明らかになるのだから、サッサと手落ちを認めるしかないのだ。しかも、アメリカ軍と自衛隊は、官邸内部のドタバタ劇が手に取るように分っていたし、そうした情報は丹念に記録されていたはずだ。いかに隠そうとしても、アメリカ軍まで絡んでいるのだから、いつかは表沙汰になるのは必至だ。除染が一向に進んでいないのに、福島県東部の人たちを避難させる気がないのは、民主党政権が自分たちの人災が発覚するのを恐れているからであり、あくまでも自己保身なのである。

 
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混迷の時代を乗り切るオークショットの保守の思想とは!

2012年03月03日 | 思想家

 この混迷と危機の時代を乗り切るためには、真の意味での保守思想が求められているのではなかろうか。添谷育志の『現代保守思想の振幅ー離脱と帰属の間』は、ポストモダンの流れに棹差すような文章で難解だが、それを真正面から論じている。イギリスにサッチャーが登場して以来、保守主義に重大な変化がもたらされた。「市場の美徳」が重んじられ、それがアメリカの新自由主義にも受け継がれた。日本においても、それが大きな流れとなり、小泉構造改革が行われた。政権交代後の民主党も、さらには、みんなの党や大阪維新の会も、それとは無縁ではない。添谷が偏愛してやまないのはM・オークショットである。オークショットは、瀆神であるバベルの塔の建設を目指すのではなく、そうした妄想から身を遠ざける必要性を説いた。プロパガンダとしてのイデオロギーを振りかざすことではなく、バベルの塔の崩壊以降、言語的混乱が生じたことを逆手にとって、会話の多様性に保守思想の理念を重ね合わせるのである。それはまた「果てしない政治の大海」のイメージと結びつく。政治とは「船を水平に保って浮かび続けること」であり、「海は友であるときもあれば敵であることもある。船乗りの技量は、どんなに敵対的な状況からでも友を作るために、行動の伝統的なやり方のなかにある諸々の手だてを使うことにある」(阿部四郎訳「政治教育」)からだ。オークショットにならって添谷は、保守的気質として「帰属しつつ離脱する」ことを強調しているが、今の時代求められているのは、そうした自在な軽妙さではなかろうか。

 
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