未来は約束されたユートピアである、と主張しているのがサヨクである。原子力発電も、人類の進歩として歓迎すればよかろう。これに対して、反近代にこだわり、未来は必ずしも、人々に幸福をもたらさない、というのが保守民族派である。そこに乗り越えることができない、一線があるのだ。私が原発の再稼動に反対するのは、近代主義がもたらしたヒューマニズムからではない。自分の命を絶対視して、そのためには手段を選ばないという利己主義ではない。保田與重郎が『われらが平和運動』で述べているように、「天皇陛下のなされる一番大事なおつとめは、米を作って、ご先祖の神を祭られることであり、人民が好ましい状態で米作りをし祭りをなし得るようにとりはかることをまつりごと」というのである。祭りという言葉は、秋の取入れが終わった後に、米や酒を神に奉り、一緒に飲み食いをすることを指すのだ。その収穫の喜びを神に申し上げることが、祝詞の役目なのである。福島第一原発の事故によって、東日本の米作りが危機に瀕している。だからこそ、私は原発を認めないのである。米作りに代表される平和な生活が損なわれれば、日本人は日本人でなくなってしまうのだ。かつてサヨクが理想郷として宣伝していた社会主義国家は、やみくもに原発を推進している。人類は日々進歩しているという確信があるからだろう。それに真っ向から対決しているのは、サヨクではなくて、反近代に固執する保守民族派なのである。
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